N(Natural) 自然にありのままで毎日を過ごしたいNオヤジのつぶやきコラムです。
不定期便でゆるっとお届けしてまいります。 3年前の降誕会の写真と共にお楽しみください。
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神さま仏さまはどうして神さま仏さまという言霊なのでしょうか? オヤジの頭の中の世界を記しますので物語として読んで頂ければと思います。言葉によって神々が様々な現象を生んだ事は前回記載しました。まさに「示し申した」のが神さまです。神さま仏さまを言霊で紐解くと次のようになります。
「神さま」は火(カ)水(ミ)さまであり火と水のエネルギーを司どっています。また、火(ヒ)は霊(ヒ)の道に通じ、水(ミ)は身(ミ)に通じます。つまり霊的存在と肉体的存在が合わさったという事です。ヒが先に来ますので霊が主で身が従です。これを霊主体従といいます。神話に登場する神さまです。
仏さまは、にんべん(人)にム(無)です。人(ヒト)は霊止(ヒト)であり、霊的に覚醒しており、無から有を生じた存在(いのちの源)という事だと考えられます。
その神さま仏さまの遥か子孫が私たちという事です。ですから、神性、仏性を持っている神さま仏さまの子であり、皆が等しく仏性を持っていると、お釈迦様もお説きくださっているのです。
また、火(カ)炎は縦方向に燃えます。これは縦の霊線(いのちの根源に繋がる)、天・地、空間(次元)を表します。水(ミ)は横に流れます。これは横の霊線、過去・現在・未来の時間を表します。縦と横の霊線が合わさって神となり、時空間となります。
この事から、全てに遍満し無から有を生じさせ、時空間をも超越したいのちの根源であるのが神さま仏さまと言えます。すなわち如来寿量品の世界がまさに神さま仏さまそのものという事だと思います。
更に、縦の霊線┃と横の霊線 ━ を合わせたのが 十 、神道では十を神さまとして表します。キリストの御印は十字架で神さまを表します。仏教でも十方世界を仏の世界として表し、立正佼成会では本仏を時空間を越えた宇宙の全身として久遠実成の釈迦牟尼仏であると説いています。
遠い過去は霊主体従であったヒトは、いつしか神さま仏さまの世界を離れ、煩悩に苦しみ輪廻を繰り返す世界に埋没し、自分が神さま仏さまと繋がっている事を思い出せなくなってしまいました。すなわち、肉体が主でその内にある霊性、つまり神性・仏性が分からなくなってしまっています。これが体主霊従であり本来の姿が反転してしまった現在の姿です。
この為、私たちは人(霊止)になる(戻る)までには、まだ間がある存在である事から人間(凡夫)という言霊になっているのです。そしてこの人々を救おう(本来の姿に)と、お釈迦様やイエス様をはじめ、多くの偉人賢人が救いの御手を差しのべてくださってきたのです。
幸いにも私たちはご縁があって法華経を学ばせて頂き、神さま仏さまの世界を少し垣間見る事が出来ております。法華経には仏さまの崇高なる意志と本来あるべき姿に近づく為の道が記されています。このお経を読誦するだけでも言霊の力が発揮され、仏さまと繋がり、感じ、正しい道を歩んでいく事が出来るのです。
開経偈に「無上甚深微妙の法は百千萬劫にも遭遇たてまつる事難し。我今見聞し受持することを得たり。願わくば如来の第一義を解せん。」とあります。これは、「この尊く深遠な教えはまず出会うことが難しいが、開祖さまのお徳でこのご縁に触れる事ができました。是非ともこの教えを学び、実践して仏さまの世界に近づきます。」という宣言です。
人間として生を受ける事も、この法縁に触れる事も難しく、稀有なチャンスを掴んだこの一生、ありがたく生涯を全うし、この法を自身に重ね合わせて神さま仏さまに少しでも近づける人生を歩み、多くの方が、真の「人・霊止」「仏」を目指せたら「ありがたい」ですし、その道が如来寿量品の結びにある「毎に自ら是の念を作す。何を以てか衆生をして。無上道に入り。速やかに佛身を成就することを得せしめんと。」という「仏さまの本願のお心」に通じるものだと思います。