ラベル 本の紹介 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 本の紹介 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

1/16/2024

<新春特別寄稿>随想「明治生まれのおばば(祖母)の追憶」

令和6年、第一弾の記事は、新春特別企画としまして、府中教会壮年部の並河由浩さんに寄稿いただきました。

北海道夕張市生まれの並河さんは、学生時代から税理士業を目指され、国税局等の勤務を経て、平成17年に志を実現されました。年々厳しくなる経済環境下で「中小企業の応援団」としてご活躍中です。

──────────────────         

 随想「明治生まれのおばば(祖母)の追憶」

自らの生い立ちを遡ろうとすると、当たり前ですが、まず父と母がおり、更にその前は父方の祖父、祖母と母方の祖父、祖母が必ず存在する。

NHKテレビ番組「ファミリーヒストリー」のようなドラマチックなものではないが、子供の頃に両親に連れられて行った実家の明治生まれの祖母の思い出話です。

並河さんの故郷夕張市の
ふるさと納税返礼品


1 父方の実家は教員一家

父方の実家は岩見沢にあり、祖父は小学校の校長歴が長く、55女の大家族だった。

父は今は無き北炭(夕張)の会社員であったが、親戚は多くが教職についていた。

祖母は明治27年生まれで小さな体をしていたが、しっかり大所帯をまとめる大御所的な存在で、天理教信者であることを後年知った。

祖母とは大勢の中にいて一対一で話したことはほとんどなく、近寄りがたい印象しかなかった。

父の10人兄弟はみんな仲が良かったようで、長男の伯父(父は次男坊)を中心にまとまって、祖父母亡き後も岩見沢で「兄弟会」という懇親会を長い間続けていた。

その宴席では女性陣が声楽家のような美声で歌っていたのが印象に残っている。

歳月がたち、10人の兄弟姉妹も順次他界して、次世代のいとこたちがそれを引き継ぎ、幹事持ち回りで年1回「いとこ会」を北海道の各地で開催して、私も時々参加していたが、毎回20名以上の参加者で盛会だった。

そのいとこ世代もみんな高齢者になり、体力面やコロナ禍等もあって、会の存続は厳しくなってきている。

 

2 母方の実家の家業とおばば

一方、母方の実家は夕張市の真谷地で履物を主とした雑貨店を営んでいた。

田舎のせいかあまり商売っ気は感じられなかったが、自由で奔放な家風はお堅い教員揃いの父方より親しみやすかった。

母方の家族は父方と同様、54女(母は末娘)の子沢山であったが、早逝者が多く、祖父は大正14年に早くに亡くなった。

子供たちの中で明大、早大にそれぞれ学んだが、若くして病没した兄たちの事を母は残念そうに話したことがあった。

母のすぐ上の姉は日本に働きに来ていた台湾人と結婚して、戦後は夫の故郷である高雄で暮らしていたが、慣れない土地と蒋介石政権下でずいぶん苦労をされたようだ。

祖母は同じ夕張市内に住んでいたので、母の体調が悪い等何かにつけて、トウモロコシなど野菜を一杯入れた唐草模様の風呂敷包みを背負って家によく遊びに来た。

祖母のことを一般に「おばあちゃん」とか「ばば」と呼称するが、自分のことを「おばば」と言っていたので私も自然に真谷地のおばばと呼んでいた。

怒るときは目を大きく開けて怖い形相になるが、普段は優しく話し合える存在だった。

おばばは「腹八分目に医者いらず」と言うのが口癖だった。

子供の頃は食糧難の時代なのでこの言葉にほとんど気に留めることはなかったが、飽食の時代と言われる現代にはまさしく至言と言える。

 「おてんとうさまはいつも見ている」という言葉もよく聞かされた。

子供の時は「お天道様」という漢字が分からず、単純にお日様(太陽)のことか思い、成長してからは天にいる神様かと考えたが、今は自分の心の中にある戒めと理解している。

明治17年(1884年)石川県で生まれ育ったおばばは会津魂にあるように、「ならぬものはならぬ」という明治人らしい毅然とした姿勢で激動の時代を生き抜いて、昭和51年に92歳でこの世を去った。 ああ、明治ははるか遠くなりにけり


3 日露戦争とその後の歴史

おばばの話で一番鮮明に記憶していることは明治38年の日露戦争の勝利の提灯行列とその時の囃し唄である。

「♪ニッポンニッポン 勝った勝った ロシア負けた ロシアの軍艦 底抜けた。♪」

この唄というか囃しは何故かデズニーのミッキーマウス・マーチのテンポに似ており、一度聞くと忘れられないが、貴重な歴史の伝承と思っている。

私の二人の妹にもこのうたのことを確かめたが、よく覚えていると言っていた。

このような民衆のうたはその前の日清戦争勝利の際もあったようで、更には幕末期に列島を揺るがしたお蔭参りなどの「エエジャナイカ」にも通じるのかもしれない。

余談ですが、ラッパのマークの大幸薬品の「正露丸」のもとはロシアを討つ弾丸に思いを込めた「征露丸」が始まりである。

世界中を驚かせた日露戦争勝利の後、列強の仲間入りをした日本は軍拡路線を歩み続け、対米宣戦布告をした太平洋戦争はその名の通り太平洋、南方が主戦場であったが、終戦直後に千島列島最北端の地で行われた「占守島(しゅむしゅとう)の戦い」を忘れてはならない。

日ソ不可侵条約を破って侵攻したソ連軍を退けた日本陸軍の占守島の戦いは戦後の北海道分割統治というソ連の野望をくじくことにもつながった。

日本軍優勢に推移していたが、既に国としては終戦を受け入れていたため、「打ち方止め」となって武装解除され、2万余名がシベリアへ抑留されるという悲劇で終わってしまった。

浅田次郎の小説「終わらざる夏」はこの占守島の戦いをテーマとした感動的な小説である。2022年2月からのウクライナ侵攻を見るにつけ、ロシアは昔と何も変わっていないという嘆きを通り越し、強い憤りを覚える。


Info
──────────────────────
『終わらざる夏』浅田次郎/集英社文庫
歴史の闇の中になかば隠れつつあった占守島の戦いを現代に伝える作品。


12/01/2023

開祖さまのイチオシご著書アンケート 回答発表!

開祖さまのイチオシご著書アンケートのご回答ありがとうございました。
府中教会の皆さまはじめ、立正佼成会職員の皆さまにもご回答いただきました。
感謝をこめて、皆さまのイチオシご著書と選書の思いを発表させていただきます。



<第1位>
─────────────────
『新釈法華三部経(全10巻)』4票
─────────────────


「宗派」という壁を超えた、『法華三部経』の現代的かつ実践的な解釈がすごい!
──
故石原慎太郎元東京都知事も『把手共行 庭野日敬追悼集二(開祖顕彰事業推進室編、佼成出版社発刊)』の中で述べておられますが、法華経の逐語訳として、これ以上の書物は世の中にないと思われるからです。個人的に市販の法華経解釈本を何冊か読んだことがありますが、どれもが学問的だったり専門的だったりして、結局、開祖さまのご解釈が一番分かりやすいと思いました。
──
人生が変わる。これ以上の解説はない。
──



<第2位>
─────────────────
『法華経の新しい解釈』
3票
─────────────────

どれもイチオシ過ぎて選ぶのに迷いましたが、私のイチオシは新釈です。たいへんお世話になった方からプレゼントしていただきました。たくさんの先輩幹部の皆さんから研修にて教えていただいたことが色々なペンや鉛筆で書き留めてあり、この世に一冊しかない、わたしにとってのかけがえのない宝物です。母のメモに「一日に新釈を一行読む」とあり、いまは夜のひと段落した時間に新釈を読ませていただいております。ご本のなかで開祖さまと出会う、かけがえのないひとときです。
──
法華経をしっかり学ぶには最適な良書
──
佼成会の基本の基本だからです
──


<第3位>
─────────────────
『見えないまつげ』2票
─────────────────



<第4位>
─────────────────
『この道』1票
─────────────────
立正佼成会との出会いから 多くの人々をお導きしてくださり WCRPへ繋げられた 開祖さまの平和への思いが伝わってきます
タイトル名もシンプルで好きです

─────────────────
『もう一人の自分』
1票
─────────────────

「まず自分というコップを空にしないと、新しい知恵は入ってこない」とあり、自分を捨てる、自己刷新の大切さを教えてもらった。

─────────────────
『開祖随感』1票
─────────────────

全部素晴らしいですが,日常生活の日々に私自身の学びが出来ます。

─────────────────
『人間らしく生きる』
1票
─────────────────

人はどう人生をおくればいいのかを教えて頂きました。

─────────────────
『庭野日敬自伝 道を求めて七十年』
1票
─────────────────

小説を読んでいるよう。自伝なので読みやすかった。

─────────────────
『仏教のいのち法華経』
1票
─────────────────
お釈迦様の伝記が書かれているので、ありがたいです。また、潜在意識、顕在意識のことも書かれているので、入門書としては、良いと思います。私も、23歳頃の時に初めて読みました。読みやすく、すぐに読み終わりました。仏教が理解し易く大変良いです。

─────────────────
『平和への道』
1票
─────────────────

長寿王の話は核兵器による抑止論や積極的平和主義、死の商人へとまさに新たな戦前が日本を覆うなか、みんながこの話を読んで会話したいです。

▼この本を選んだこうのさんのお話をうかがいました。

─────────────────
『瀉瓶無遺』
1票
─────────────────

ご本尊さま勧請の経緯、日々の修行のあり方、さまざまな受け止め方。学ぶことが満載でした。今でも繰り返し拝読しております。


─────────────────
今回、プロモーション(支部からの声掛けなど)をしなかったにもかかわらず、これだけの方に回答をいただけましたこと、心より感謝申し上げます。
『新釈法華三部経(全10巻)』を世に出した開祖さまの偉業を思うとき、
法華経も、開祖さまの新釈も、その影響力は、私たちが「法華経を生きる」ことによってのみ、より高い解像度で伝わっていくのだと、皆さまのイチオシ理由で改めて気づかせてもらいました。
ありがとうございました。

10/26/2023

『平和への道』───こうのさんの開祖さまイチオシご著書

開祖さま生誕月の11月は、開祖さまの教えと事績を学びあい実践する「報恩感謝の月」。
スペシャル企画として「開祖さまのご著書であなたのイチオシを教えてください」というアンケートを実施しました。
──────────────────
今回は、アンケートで『平和への道』を選んだこうのゆうこさん(以下、河野さん)にお話をうかがいました。
(聞き手:佐藤)

今年秋に開催された聖蹟桜ヶ丘駅周辺の周遊型音楽フェスイベント【せいせき音フェス】でこうのゆうこさんがボーカルをつとめる「バンドめい」の初お披露目演奏





──河野さんは、『檻の中のライオン』の著者で弁護士の楾大樹(はんどうたいき)さんの講演会を企画、開催するなど憲法について積極的に学び合いされていますね。

河野 自分だけ学ぶのではなく、広げるということを大事にしています。特に若いパパ、ママさんに伝えたい。そうすれば、子どもにも自然に伝わっていくと思っています。

──そのような河野さんが選ばれた『平和への道』ですが、イチオシの理由に長寿王(ちょうじゅおう)のお話を挙げていますね。

河野 はい、この物語は王政の国の話であることが前提ですね。王様が絶対である。そこが民主主義の日本とは違います。ただ、日本が本当の意味での民主主義かどうか…。

──難しいところですね。まず長寿王の物語のあらましですが、インドのコーサラ国の繁栄をうらやましく思い、戦争をしかけて国をとってしまおうとする隣国カーシャ国との対立があります。このとき、コーサラ国の王である長寿王は戦争を回避するために、敵国のカーシャの治下に入ろうと提案するのですよね。

河野 そうです。戦争になれば、自国だけでなく双方の国の民に死傷者が出る。現在のウクライナ戦争、パレスチナでの紛争、世界各地の戦争、紛争もそうです。そういった状況を避けたいということです。

──長寿王が敵国に下ったことで戦争は回避され、両国民の命を一人も失うことはありませんでした。しかしコーサラ国はカーシャ国王のものとなり、長寿王は敵国で処刑されるという前半のあらすじです。

河野 身を捧げたのですよね。他の人を生かすために自分が犠牲になったわけです。

──捕らえられた長寿王が今にも火あぶりにされようとするとき、息子である長生王子が飛び出そうとするのを見つけ、伝えた最期の言葉がこちらです。
「恨みに恨みをもって報いれば、また、それが恨みを生んで、いつまでも消えることはない。どちらか一方が許せば、そこで恨みが消えてしまうのだ」



 

河野 父を殺されたあと、長生王子は敵である王の命を狙いながらも、父の最期の言葉を思い出し、殺すために抜いた剣を収め…というやりとりを三度繰り返し、ついに敵王と和解します。現実にはありえないおとぎ話ですが。

──そう、おとぎ話ですが、その寓話に込められた教訓として、開祖さまは「釈尊の平和観」を三つ示されています。

①「人命より主権を重んずるのは狭い考えだ」という思想 
②「多数を生かすために自分が犠牲になる」という精神 
③「恨みに恨みをもって報いれば、恨みは消えることはない」という真理


河野 「人命より主権を重んずるのは狭い考えだ」というのは、国家よりも、そこに住む人々の命のほうが大事だということですね。

──この話では長寿王の命が失われるわけですから、本当に人命重視というなら、王の命はどうしたら助かるだろうかと思ってしまいます。②で「多数を生かすために自分が犠牲になる」という精神が説かれますが・・・

河野 しかも、長寿王は「喜んで捧げる」と。

──ここから何を学ぶかですね。

河野 そうですね。犠牲になった父を思い、息子はすごい悔しいわけです。許せないという恨みの感情が続いてしまいます。

──現在の紛争も、こういった恨みの連鎖かもしれません。

河野 長寿王の話の場合は、恨みをもっていた王子が身分を隠して敵の王に近づき、何度も殺そうとしてはためらい、「実はあなたを殺そうとしてた」と告白するということは、仏性を信じているということですよね。

──そこが大事なところだと思います。

河野 真実を言ったら自分が殺されるかもしれない。だけど真実を伝える。そこで敵の王が「自分が悪かった」と真実をさとるわけです。真実には真実があらわれるという思いがしますね。

──この長生王子と敵のやりとりは本当に考えさせられます。ぜひ『平和への道』を読んで皆さんに味わってほしいですね。河野さん、ありがとうございました。



──────────────────
Info

『平和への道』庭野日敬/佼成出版社(昭和47年発行)
第1回の世界宗教者平和会議(昭和45年)を終え、さらに新しい歩みを力強く踏み出しているこの時期において、会員たちが法華経の深遠な平和思想をあらためて認識して、しっかりした理解と信念の上に立って今後の活動を進めてほしいと開祖が念願し発刊が意図された。

10/10/2023

秋は実のある書を読む季節──【アンケート】イチオシ開祖さまご著書

書物は、道を究めた方々の知恵や経験が集積されたものです。その一端に触れることで、未知なる世界を知り、見識が広がります。それは、いわば「心の食物」を摂ることにほかなりません。

(中略)

「読む時間がない」「ネットで十分」という人もいるかもしれません。しかし、心の栄養が欠乏しないように、毎日、わずかな時間でも、読書に親しむ習慣を身につけたいものです。

会長先生は『躍進』法話録(2020年10月)で、このようにご指導くださっています。


また、『佼成』の開祖さまご法話(1977年10月)「秋は実のある書を読む季節」では「旅する者が故郷を恋い慕うように、魂の奥へ奥へ、奥にあるなにものかへと、しきりに回帰するのがこの季節」としたうえで、読書を勧めています。

内への回帰の一つの現れとして、わたしどもの志向は読書へとおもむきます。それも、どっしりとした、読みごたえのある、永遠の生命を秘めた書籍へと、自然に手は伸びてゆきます。もしそうでない人がいたとしたら、気の毒ながら、その人は知的に行き止まりで、ちょうど実を結ばぬ植物のようなものだといっても、さしつかえはないでしょう。


10月13日は日蓮聖人の遠忌。

日蓮聖人の言葉に「法華経は色読せよ」とあります。色読するとは、からだで読むということ。からだで読むとは何か分からない人は、法華経を読んで感動したところがあったら、それを他の人に伝えてみるとよいそうです。「人に伝えるという積極的な行為をすれば、ただ受動的に読んだときと違って、その教えがひじょうにクッキリと自分の胸に刻み込まれる」と開祖さまはご指導くださっています。


10月4日は開祖さま入寂会、11月15日は開祖さま生誕会。この2ヶ月は開祖さまへの追慕讃歎、報恩感謝を深める月です。

開祖さまがのこされた数多くのご著書で、みなさんが感動したところをぜひ他の人に伝えてみませんか。


こちら、イチオシ開祖さまご著書アンケートへ皆さんの感動をお届けください。

(下の青い文字をタッチするとアンケートフォームが開きます。)

イチオシ開祖さまご著書アンケート



2/11/2023

マンガ『阿・吽』読書会に参加しました

府中の普賢寺のイベントをチェックしていて、マンガ『阿・吽』オンライン読書会を知りました。

『阿・吽』全14巻


ちょうどお正月に『阿・吽』全14巻をイッキ読みしたばかり。
空海と最澄の「救い」とは何かを探求していく生涯に、力をもらっていました。

読書会は、一般社団法人ダイアログ・ラーニングの井上真祈子さんの司会で、普賢寺の小野常寛住職長野にある長谷寺の岡澤慶澄住職が、最澄の天台宗と、空海の真言宗の信仰体験を解説。

さらに、書家の薛翔文さん身体教育家の林久仁則さん(NHK趣味どきっ!に出演)、教育系企業会社員の竹内新さんをゲストに多彩な視点で『阿・吽』の世界観が語られました。
Zoomの参加者は総勢43人。

チャット欄で自由に語り合える雰囲気でしたので、私も質問してみました。


◆最澄と徳一の「三一権実論争」

問い「なぜ最澄は徳一に対して、あれほど激昂したのでしょうか」


出典:『阿・吽』13巻「徳一菩薩」おかざき真里
徳一に激昂する最澄

マンガでは13巻、坂上田村麻呂の東征などを経て復興しつつある、純朴な会津の人たちが描かれます。

出典:『阿・吽』8巻(扉絵・坂上田村麻呂)おかざき真里
三春駒は坂上田村麻呂の伝説から生まれました。


出典:『阿・吽』13巻「徳一菩薩」おかざき真里
ジョウブツできなくても?

私は福島の出身ですが、会津にも磐城(いわき)の古寺名刹にも、徳一菩薩の布教の事績が残されています。

『阿・吽』では、最澄と烈しく論争するヒールとして描かれている法相宗の徳一。

「一人残らず救う」と誓願する最澄に対し、「荒涼とした現実にさえ己の分がある。己の役割を知らせてやるほうが生きる実感があろうというもの」と疑問を投げかける徳一。
一乗真実、三乗方便はまやかしで、三乗こそ真実と言う徳一の真意はいかに。

二人の激烈な論争は、すべてに仏性有りという思想に対する問答であり、仏教史上最大の対決です。

そのあいだで最澄を心配する空海の姿も、マンガでは印象的。


◆最澄も徳一も人々を導こうという思いは共有

小野住職が、最澄の「すべて救う」という願や、徳一が当時から東北の人々に慕われていたことなどを教えてくださいました。

参加者の中には、徳一開山のお寺のご住職もいらっしゃいました。

出典:『阿・吽』4巻「三車火宅」おかざき真里
「救い」は無限です!


「わかりきらないまま、わかろうとする…」
という小野住職の言葉も心に残りました。

両者が目指す方向は異なっていたとしても、言葉と論理を用いてそれぞれが思う正しい方向に赴こう、人々を導こうという思いは共有していたのではないか。
(『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』師茂樹)


「正しい」とは…。
最澄徳一の論争に、空海はどのような視線を向けていたのか。

最澄と空海の二項対立では見えない信仰世界が、徳一や坂上田村麻呂などを交えた群像劇のなかで、「救い、救われ」とは何かを読む者に問いかけます。

『阿・吽』読書会は続編がありそうです。
次回はぜひ、みなさんも参加してみてはいかがでしょうか。
(さとう)

Info
──────────────────────
次回の読書会は、普賢寺Facebookのイベント情報をチェック!

<参考資料>
マンガ『阿・吽』おかざき真里/小学館
『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』師茂樹/岩波新書

※マンガの引用は以下のルールに従いました。

(注5)引用における注意事項

 他人の著作物を自分の著作物の中に取り込む場合,すなわち引用を行う場合,一般的には,以下の事項に注意しなければなりません。

  • (1)他人の著作物を引用する必然性があること。
  • (2)かぎ括弧をつけるなど,自分の著作物と引用部分とが区別されていること。
  • (3)自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること(自分の著作物が主体)。
  • (4)出所の明示がなされていること。(第48条)

1/11/2023

退歩を学んだ日々(杉山支部長)

この記事は、昨年(令和4年)6月4日開祖さまご命日にYouTubeで配信した、杉山佳重支部長のお話(アーカイブ)より、抜粋してお届けします。

────────────────

◆相手に変わって欲しい自分

 この2年半は皆さんにとってどんな時間でしたでしょうか?

 今日は、私にお話しをするようにとお時間を頂きましたので、コロナ禍で考えたことをお話させて頂きます。
 主人が在宅勤務で、家でずっと座ったきりで仕事をしていました。一昨年ですが、胆石の発作を起こし、2回目の発作なので胆のうを摘出することになり、元々糖尿病でしたが、手術をしてもらい、おかげさまで回復することができました。
 その代わり、セルフケアとして、毎日ウォーキングで血糖値を下げることになりまして、入院がきっかけで生活を見直すことができました。

 こうして、私に夫といる時間ができてきますと、「いけない、いけない」と思っていても、思い通りにしたいという欲求が出てきます。断捨離して、私はどんどんスッキリしていくのですが、主人の部屋を見ると、気になって気になって仕方なくなってきました。主人は捨てない人なんです。どうしても捨てたいと思う私と対立します。こうなると、仕事をしている主人に感謝じゃなくて、イライラがつのってくる、いつものパターンです。
 でも片づけを手伝ってくれた妹から「他の部屋が綺麗に片づけば、自分の場所もキレイにしたくなるんじゃない」と諭されて、諦めることができました。が、主人は最近本当に自分で整理を始めまして、ワクワクしていたのですが、やはり廃棄物はゼロで、紙くずがちょびっとなんです。変わって欲しいって思うのをなかなかやめられない私ですね。


◆退歩を学べ


 そんな時、本を整理していて、買っていたけど読んでいなかった本を見つけてしまいました。『退歩を学べ』(森政弘/アーユスの森新書)という本です。作者はあのロボット博士の森政弘さん。退歩って進歩の逆だと思っていたので、今は活動が止まっているので、退歩だと考えたんですね。が、それはちょっと違っていました。「進歩とは外側のことで、退歩とは内側の心のことを言う」と、道元禅師のお言葉を引用されています。分かりやすくたとえると、蠅が外へ出たくて窓ガラスに前進姿勢でもがいている。でもそこには、透明なガラスが立ちはだかっているので外へ出られないのを、見たことありますよね。

 「ハエに退歩する知恵があったならば、後ろへ引いて、視野が広がり、窓の端には、本当に開いた場所が見え、わけなく助かるのだ」と、森博士は仰っていました。そこを読んで「私もハエと同じだったのかもしれない」と思いました。毎日教会へ行き、当たり前のように、予定に従っていろんな事にあたっていたけど、内側の奥底にある自分の想いに蓋をして走っていたのかもしれないと、つくづく考えさせられました。急にステイホームと言われ、人とは会えないことに、大変戸惑う毎日になったわけですが、この本は、そんな私の迷いに、一つの答えを頂けたと思います。


◆退歩するだけの心の余裕があるか

 「肝心なのは、このガラスの存在を見抜く力と、退歩するだけの心の余裕があるかどうかだ」とありました。ですから、教会がお休み状態ではありましたが、その間に大切なもの、変えていく必要のあることなど、みんなで考えていく時間を頂いたのだと思いました。少し離れて見る「退歩」ですが、2年の時間はそうした心の余裕を普段から持つことの大切さを教えてくれたのだと気づきました。

 皆さんと会えないことを経験してみて言えることは、佼成会の人の温かさは、ずば抜けていると思ったことです。それは当たり前ではないなという感動でもあります。当たり前になっていたことも、退歩でみると、例えば主人の胆のう摘出手術が、糖尿病の本格的な治療に繋がったのだという感謝が見えてくるんだなと思いました。

 興味のある方はぜひ、読まれては如何かと思います。


 info
────────────────
▲タッチすると「ちえうみ」サイトへとびます。

無料コンテンツに、本記事で紹介された『退歩を学べ』(森政弘/アーユスの森新書)がアップされています。
登録のうえ、ダウンロードすると、スマホやPCなどで著書の全文をお読みいただくことができます。

森政弘(もりまさひろ)
1927年(昭和2年)、三重県生まれ。名古屋大学工学部電気学科卒業。工学博士。
日本ロボット学会名誉会長、中央学術研究所講師。ロボットコンテスト(ロボコン)の創始者であるとともに、約40年にわたる仏教および禅研究者としての著作も多い。