今年の節分2月2日は日曜日。
子どもたちが楽しめる豆まきを企画したい!
ならば、イケメンの鬼を登場させましょう。
いつものコワイ鬼は封印して、違う感じにしたい。
衣装はよさこい祭の旗手のアレががいいんじゃないか。
角だってカッコよくないと・・・
子どもたちに喜んでもらいたいという気持ちに、イケメンの鬼が見てみたいという好奇心を潜ませながら楽しく準備を重ねて、当日を迎えました。
府中教会では、かなり久しぶりの豆まきの集いです。
試行錯誤しながら、どんどん新しい企画がふくらんできました。
今年の節分2月2日は日曜日。
子どもたちが楽しめる豆まきを企画したい!
ならば、イケメンの鬼を登場させましょう。
いつものコワイ鬼は封印して、違う感じにしたい。
子どもたちに喜んでもらいたいという気持ちに、イケメンの鬼が見てみたいという好奇心を潜ませながら楽しく準備を重ねて、当日を迎えました。
府中教会では、かなり久しぶりの豆まきの集いです。
試行錯誤しながら、どんどん新しい企画がふくらんできました。
11月1日と3日の2DAYSで開催された「府中教会発足50周年式典」。
式典をとおして出会った喜びの余韻を味わいつつ、50周年special記事で、冷めやらぬ感動をお届してまいりたいと思います。
☆☆☆
あたたかい先輩方に育てられた青年たちが、3日の講演会では明るく元気に活躍する姿を見せてくれました。
その一つが「ふちゅーむ対話」です。
周年実行委員の古山華代さんが中心となって企画、準備を進めてきました。
5人の学生たちが「スピーカー(話者)」となり、講演くださった作家の荒川祐二さんとの対話の時間をいただきましたが…
本番に至るまでには、華代さんの様々な葛藤がありました。
今回、ふちゅーむ対話のスピーカーのひとりとして参加させて頂きました。荒川さんへの質問で、嫌がらせをしてきた人たちは何故そんなことをしたのかという問いに対して、嫌がらせをする人たちは現状を変えようとせずに、変わろうとしている人を潰そうとしたいからだと答えて頂きました。さらに講座全体を通じて、そういう人たちはやればできてしまうこと(今回の場合はゴミ拾い)を恥じらいや怠けなど、様々な心の作用からできないのだろうと思いました。動機がどうであろうと、続けることは大変な事だし、まして嫌がらせなんて受けてしまえばやり続けることはとても辛いことだと思います。
しかし、人との繋がりや、決意がそれを可能にさせるものであると講演でよく理解しました。また、そんな中頑張ってきた自分を褒めてあげることも大切だとも気付かされました。
私は今受験生で、国公立大学を目指しています。国公立の一般は3月まで続くし、受験科目も多くて諦めてしまう人もかなり多く、さらに推薦で受かって既に進路が決まった人もたくさんいます。正直ここまで⾧期間辛いと思うことはありませんでしたし、自分も投げ出したくなる時も沢山ありました。でも、今回の講座でここまで支えてくれたたくさんの人のありがたさを改めて感じられたし、頑張った自分を褒めてあげてもいいんだって思えました。それを胸にここから先も頑張っていきたいです。今回はありがとうございました!(高校3年女子)
最後に、実行委員として当日はファシリテーターを務めた古山華代さんの感想です。
今回50周年の青年部のリーダーとして実行委員会に入らせていただき、皆様に本当に支えていただきながら11月3日の式典を作り上げることができました。計画をしていく中で1番悩んだのは、対話のスピーカーのお役の子を選ぶ時でした。前に出て話すなんて恥ずかしくて出てくれないだろうな…と先入観を持っていたので、誘うことに対して後ろ向きな気持ちでした。それでも声をかけてみると前向きに考えてくれる子ばかりで、小さい頃から知ってるみんながいつの間にか大きくなったことを感じ、それだけで胸がいっぱいになる思いでした。
リハーサルをするまではどんな雰囲気の式典になるかイメージがあまりできなかったのですが、スピーカー5名の個性光る自己紹介を聞いて、本番は大丈夫だ!と確信できました。当日も本当に素晴らしい質問をしていて、私自身とても勉強になりましたし、あの時間は道場にいたみなさんと一緒に学ぶことができた本当に素敵な時間だったと思います。
今回一歩踏み出して対話に参加してくれたスピーカーの5名にも、見えないところで一歩踏み出して50周年の式典を作り上げたくださった人にも本当に感謝いたします。51周年目に向けてまた踏み出して、出会って、自分も相手も好きになれる輪を広げていきたいと思います。
(こやまはなよ)
信仰が私の播く種であり、鍛錬が雨である。智慧が私の犂であり、恥じることが轅である。心が縛る縄であり、内省が犂先と突棒である。身と言葉を慎み、食を接して過食しない。真実を守ることは私の草刈りである。柔和は牛の軛を離すことである。精進は荷を運ぶ牛で、安穏の境地に運んでくれる。退くことなく進み、そこに至って憂えることがない。耕作はこのようになされ、不死の実りをもたらす。この耕作によって、あらゆる苦悩から解き放たれる。(『心田を耕す』/庭野日鑛・佼成出版社)
夏の終わりには
ただ あなたに会いたくなる
お盆休みが過ぎ、いつかと同じ、仲間たちが集った。
10月20日に開催される「お会式・一乗まつり」にむけて、青年たちが異体同心の思いを募らせた。
はじめとおわりには法座で心合わせ。
今年、11月3日(日・祝)に行われる「府中教会発足50周年式典/記念講演」では、ザ・ティーズによる演奏・演技があります。
府中教会「ザ・ティーズ」は、高校生までの年代を中心とした鼓笛とバトンのチームで、年一回、東京教区の鼓笛フェスティバルでは普門館の舞台にたち、多摩支教区主催となってからは、ルネこだいらで練習成果を披露してきました。
フェスティバルの舞台に立った当時のメンバーがコロナ禍での活動休止を経て、大学生、社会人に成長し、今年、再結集!
記念講演当日は、OG・OBと少年部、学生部メンバーたちによるザ・ティーズの発表にご期待ください♪
この夏、再結集したザ・ティーズの仲間たちで、8月10日にお楽しみ会が行われました。
大人も子ども、練習も準備も受け入れも、みんなでワイワイ♪
夜も更け、軒先での花火を眺めながらくつろぐ時間。
「この感じ、なつかしい・・・」とつぶやく大学生の言葉に、少年時代のきらめきが伝わってきました。
「楽」は音楽の楽であり、楽しむこと。
木の枝のある手鈴の形であり、これを振って、その楽音をもって神を楽しませる意の象形文字です。(白川静『字統』)
青年たちの内にも外にも宿る神仏にたいして、ザ・ティーズの奏でる音曲や舞いをもって楽しませることが「楽」の意味になります。