立正佼成会の当番修行は「生活即信仰」の稽古場として、多くの会員が型を身につける修行を通して、身口意の三業を調え、救われてきた。
道場当番は、令和2年に会長先生が「道場健幸行(けんこうぎょう)」と命名。
これには、易経の「健体康心」という言葉を源に、「幸」の字をそこにあてて、身心ともに健やかにも幸せにもなれる行としての願いが込められている。
今回はマイワイパー片手に道場健幸行に励む高谷彰良さんに、担当支部長が注目。健幸行をとおして感じている思いなどをインタビューをした。
(聞き手:杉山支部長)
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──今日も健幸行有難うございます。健幸行に参加するようになったきっかけは?
最初は、昨年の壮年部の月一回の健幸行に参加し、その流れで支部の健幸行に主任さんに誘ってもらいました。母が昨年の1月に亡くなって、教会に来て母のことを話すのが辛かったんですが… でも盂蘭盆会で母の新盆のご供養をして今年1月に一周忌ご供養が済んで、教会が開くようになり、ようやくですかね。教会に来ると気持ちが変わります。
──どんなふうに気持ちが変わるのですか。
それはちょっと…言葉にするのは難しいけれど、落ち着く感じでしょうか。子どもの頃から、教会に来ると気持ちが変わることがあって、コロナでなければ、もっと早く教会に来ていたと思います。
──なるほど。今日も黙々と窓を拭いていましたが、終わった時の気分は。
今日も終わったなと(笑) 家に帰ったあともスッとしますよ。外出することがあまりなかったのですが、家を出て、バスに乗って教会に来るという一連の行為があって、なんとか気持ちが変化できることを最近感じています。昨年までは感情の波があり、それができなかった。
──教会への行き方を決めているのですか。
母は交通事故で亡くなっているんですよ。だから、交通機関を使うことは気持ちとしては厳しいものがまだありますね。
──そうでしたか。でも健幸行に来られるたびに、みるみる変わって来ているように見えます。
変わるしかないですよ。これから先、一人で生きていくには変わるしかない。であれば、まずは変われるところ、教会に来ることだと思っていますね。
ご宝前(ごほうぜん・ご本尊がご安置)があるから、母の死に向き合うしかないですよ。 毎朝起きて、ご宝前にお給仕して、母がいないことを突きつけられるんです。
──そこからずっとですか?
──お母さまの願いが叶いましたね。
母の言葉は思い出しますね。でも、自分のご供養が正しいのか、一人であげていると確認のしようがなくて。
──え? ご供養のあげ方が正しいかどうか、ということ?
はい、母から引き継ぎを受けたかったと思っているんです。
さて来月には、支部壮年の道場健幸行がありますが。
はい、主任さんから聞いていますので、次回も参加させて頂きます。
──そうですか! ぜひともまたお願いします。今日はお話いただき有難うございました。
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振り返り
高谷さんのご供養は、凛としたお声で若いお坊さんのよう。小さい時からお経に親しんできた人ならではの、佼成会らしいあげ方ができています。本人が思っているよりもお母さんゆずりのお経が身についていらっしゃいます。