3/07/2025

天災は忘れた頃にやってくる


れた頃にやってくる

お馴染みの名文句は、夏目漱石の小説『三四郎』に登場する科学者のモデルとしても有名な寺田寅彦の発案とされています。

1923(大正12)年の関東大震災を44歳の時に体験し、それに基づき、地震・津波・火災・噴火に関する先駆的な論考を残し、平時における備えと災害教育の重要性を説く物理学者の寺田。自然と人間の行動に関するユニークなエッセイを数多く執筆しています。

随筆集『ピタゴラスと豆』(寺田寅彦/角川文庫)には「震災日記」が収録。
巻末の地球科学者鎌田浩毅による解説にこうあります。

 関東大震災を経験した寺田の議論はいまだに有効で、2011年から「大地変動の時代」に入った現在の日本列島を考えるためにも非常に役に立つ。我が国では首都圏を始めとする大都市に人とシステムが集中し、その勢いは1923年の関東大震災後はおろか、2011年の東日本大震災の後も留まることを知らない。


首都圏の混乱によって、東北の災害対応が遅れたことは、私自身、職場にて被災地の後方支援をしているなかで、痛恨の極みとして今でも忘れがたい負の思いです。

地球科学者の鎌田氏は、寺田寅彦の言葉を借り、私たちに重い言葉を投げかけます。

 

 90年以上も前の寺田は、関東大震災の直後から「災害を大きくしたのは人間」という卓見を表明した。すなわち、もともと自然界に蓄積されたエネルギーには良いも悪もなく、そのエネルギーを災害として増幅させてしまうかは、人間の所為によると喝破した。ちなみに、彼は『天災と国防』というエッセイで「災害を大きくするのは文明人そのもの」と記している。


 阪神・淡路大震災から30年の節目であり、能登半島地震から一年に当たる今年の1月に出された『避災と共災のすすめ──人間復興の災害学』(永野 海/帝京大学出版会)では、自然はときに圧倒的エネルギーを見せつけ、人命を奪い、住まいや生活を破壊することに打ちのめされつつも、希望を失いません。
 自然災害と闘うのではなく、うまくかわしながら命や生活を守る必要があるとし、災害を避ける「避災」と、災害を受け入れ、理解することから始めなければならないとする「共災」を説いています。

 本書で感銘を受けた言葉が「被災者支援は明るく、楽しく、しつこく」です。

 よいことを真心こめてくりかえす。楽しくなるまでくりかえす。
 本会が大事にしているこのフレーズと似ています。

 『佼成』3月号の会長法話は「天地自然のおかげさま」。
 天地自然の摂理(真理)をかみしめ感謝がわき上がると、仮に困難のなかでさえ「おかげさま」に気づいて幸せが得られる──心が救われると、会長先生はご指導くださいます。

「おかげさま」をみなさんとともに
伝え、広めること。

 ホームページをご覧くださっているみなさまの「おかげさま」を、ぜひお寄せください。
 「おかげさま」が集まるところがオアシスとなります。
 そこが苗代となって人が育まれることを、みなさまの日々のあたたかい触れ合いのご様子から確信しています。

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Info 参考図書

『ピタゴラスと豆』(寺田寅彦/角川文庫)
『避災と共災のすすめ──人間復興の災害学』(永野 海/帝京大学出版会)

東日本大震災を振り返る




時系列、詳細内容など当時の私の記憶を参考に文章を記述しています。
間違い等はご了承いただければと思います
また以下の文頭※ですが当時の状況注釈、
私の記憶(あいまい)を記載しています。


西暦2011年03月11日14時ごろ、私が被害にあったのは東京で、一番揺れを感じた時間帯だと思います。
※気象庁データとは認識が
 違っていたかもしれません。


震災当日、私は新宿三丁目付近のオフィスビル12(13かも?)階で働いていました。
デスクワーク(業務内容)でしたので、その時「なんだ、なんだ」としか考えられず、同僚も揺れが大きくなるたびに「やっべ」を言うしかありませんでした。
ただ必死にオフィス内の棚を倒れないように抑えることだけしていました。
あまりにも大きな変化に対応できず、その場をしのぐことしかできませんでした。

※揺れはオフィスフロアの大きさ分、
 横にずれた感覚がありました。
 20階建の高層ビルでしたので
 警報音はなっていたかもしれませんが
 覚えていません。
  (揺れが大きすぎて私が認識できて
 いなかっただけかもしれません)


そして揺れがおさまった状態でインターネットを見ると、津波が来るかもの画面が出ていて、その時初めて大きな地震でこの状況になったんだと認識できました。
数分後、ビルから退避勧告が会社側に通知されました。
早々に仕事を区切る話をして、帰宅困難者がいるかの確認が始まりました。
公共交通機関で帰る人、歩いて帰る人に分かれる状態でビルからの案内に従い退去しました。

※職場はビルの中階に位置していました。
 エレベータが止まり、階段、
 非常階段とも退去する人で
 いっぱいになり動けませんでした。
 ビルの案内に従うのが安全、
 確実に退去できると思って
 待っていた記憶があります。


ビルから出た後、自宅までの電車が止まっている人の塊が出来たので
「新宿から一番近い家の人っている?」
と質問されました。

この時すでに電車(特定の路線)、バス(渋滞)は動いておらず、また駅内に人が殺到し、退避所となる場所に移動しづらかったので、上司から質問が出たのだと思います。

「多分この中では私の家が近いと思います」
と言いました。

当時住んでいたのは京王線笹塚駅近くのアパートでした。
京王線を使っていた上司、同僚から
「電車が動くまでの待避所にさせてほしい」
と要望がありましたので
「電車が動くまでならいいですよ」
と言いアパートに案内しました。

※新宿から数駅までは動いていましたが
 途中から止まっていたので
 京王笹塚駅周辺に一番早くたどり着ける
 方法になったのだと思います。


考えることはみんな同じで、
報道されていた帰宅困難者の1人になりました。

当時の状況を説明します。
●公共道は車がいっぱい状態で渋滞し、
  上下線とも動かない。
●公共の大きな交通網はほぼ帰宅困難者の順番待ち、
   そのため並んでいる状態です。
●コンビニの飲食物もほぼ売り切れ、
   水も1人1本までの状態で何も買える状態はありません。
●トイレも公園、駅など共同トイレは順番待ち状態。
●携帯電話はつながりにくい。
●アパートの蛇口から出る水の勢いが
   半分くらいになっている状態思えた。

※コンビニは生活にかかわるもの
 以外が残っていて、
 私が入った場所は張り紙(売り切れ等)
 だけ残っている状態です。


私の中では世紀末のような感じがして、生きている心地がしなかったです。


帰宅後、同僚2人の電車路線の回復を待っていました。
帰宅困難者のために聖堂付近の施設を、一時退避所として開放されていたなとの記憶があり、
「素晴らしいな」
「佼成会はこのように物理的な対応もしてくださるのだな」
と感心しました。

※同僚が長時間私のアパートに
 いましたので、公共の待避所へ
 案内したほうが、リラックス
 できるのではないかと思いました。
   交通が少し回復していたので、
 自転車で聖堂そばの一時退避所まで行き
   受け入れ場所状況を確認できました。
   ただアパートに帰ると、
   2人とも電車回復したよと
 言って帰宅しました。


以上が私の震災時に遭遇した帰宅困難者の記憶です。


今回の記事は、震災中ありがたいと思える佼成会の対応に感謝と、教訓とするべきところがあると思い書かせてもらいました。


災害時の日本人の行動は、模範にするべきだと思います。
しかし現状、海外の方の往来が2011年に比べて多くなっておりますし、スマートフォンの変化、上下水道施設の耐久年数による二次被害など、災害時どのような状況になるのか、
想定ができにくい状態ではあると思います。

この事態を一個でも減らせるように行動するのが未来の自分への投資および家族、周りの人への感謝を表すことだと私は思っています。


私はプログラマで、スマートフォンアプリ、パソコンソフトなど制作経験があります。
震災も含め緊急事態等の負担軽減として、私に何ができるのかなと考えてみました。

私が制作できるかもと思った事柄です。
・デジタル媒体の導入、動作難易度を下げるような試み
 (目的:スマートフォンでの操作が一般的になっているので、それぞれの導入や操作難易度を下げるため)
  (例として:使いたいアプリ説明を画面に表示など)

・多岐にわたる情報取得の方法共有
  (目的:知識を増やすお手軽な方法の拡充のため)
  (例として:使いたいアプリの説明用サイトの案内など)


以下は詳細を記載しづらいので参考程度に
・多言語理解、情報共有、提供
・気象データ、環境データなどの知見の提供
・現在不自由に感じている事柄をデジタル対応による最適化


長文になりましたが、ご拝読ありがとうございました。

2025.03/07
(文・イラスト:あじでち)

3/04/2025

【短信】ちょこっと府中◆早春賦2025

春は名のみの 風のさむさや~ 谷の鶯 歌は思えど~♪

明日(3月5日)の教団創立87周年記念式典
現在(前日の夕方)はすでに雪が降り始めていますので、足元が心配です。
どうぞ、くれぐれもご無理なくお願いします。

2025年2月後半~3月初めの【短信】ちょこっと府中は、創立記念直前特集&会長先生米寿のお祝い設えなどの様子をお届けします。
(時系列は順不同です。)

3月5日は立正佼成会の創立記念日です。

御旗がおでましになります。

玄関の寄せ植え、春バージョンでお迎え

玄関ロビーの正面にお祝いの書


米寿を寿ぐ奉祝委員会×『佼成』コラボ企画
「DEAR会長先生」
会長先生への報恩感謝・米寿のお祝い・救われた喜びなど、あなたの思いをお届けください。
お返事が届くかも!

頭脳の働きは、使えば使うほど向上するといわれています。
(令和7年 会長先生 年頭法話より)

3月4日撮影 河津桜と府中教会

3月4日撮影 教会の河津桜アップ

3月4日撮影 教会の紅梅



2月15日涅槃会式典のあと、
府中郷土の森 梅まつりに行きました。

まだ咲き始めの梅の花。
陽気にめぐまれ、梅の香りにうっとり♪





喜捨箱のそばに設置の箱
千羽鶴に平和の祈りをこめて、
(今年4月)に奉納します。



よつば会、月例会でメンバー宅参拝。
お吸い物の白い塊ははんぺんでした!



府中教会の防災状況の確認に来られた消防隊員の皆様。
「きれいにされていますね」とお褒めの言葉をいただきました。
これからも防災に務めてまいります。



みなさんの「おかげさま」が響き合う府中教会をつくってまいりたいと思います。