3/07/2025

東日本大震災を振り返る




時系列、詳細内容など当時の私の記憶を参考に文章を記述しています。
間違い等はご了承いただければと思います
また以下の文頭※ですが当時の状況注釈、
私の記憶(あいまい)を記載しています。


西暦2011年03月11日14時ごろ、私が被害にあったのは東京で、一番揺れを感じた時間帯だと思います。
※気象庁データとは認識が
 違っていたかもしれません。


震災当日、私は新宿三丁目付近のオフィスビル12(13かも?)階で働いていました。
デスクワーク(業務内容)でしたので、その時「なんだ、なんだ」としか考えられず、同僚も揺れが大きくなるたびに「やっべ」を言うしかありませんでした。
ただ必死にオフィス内の棚を倒れないように抑えることだけしていました。
あまりにも大きな変化に対応できず、その場をしのぐことしかできませんでした。

※揺れはオフィスフロアの大きさ分、
 横にずれた感覚がありました。
 20階建の高層ビルでしたので
 警報音はなっていたかもしれませんが
 覚えていません。
  (揺れが大きすぎて私が認識できて
 いなかっただけかもしれません)


そして揺れがおさまった状態でインターネットを見ると、津波が来るかもの画面が出ていて、その時初めて大きな地震でこの状況になったんだと認識できました。
数分後、ビルから退避勧告が会社側に通知されました。
早々に仕事を区切る話をして、帰宅困難者がいるかの確認が始まりました。
公共交通機関で帰る人、歩いて帰る人に分かれる状態でビルからの案内に従い退去しました。

※職場はビルの中階に位置していました。
 エレベータが止まり、階段、
 非常階段とも退去する人で
 いっぱいになり動けませんでした。
 ビルの案内に従うのが安全、
 確実に退去できると思って
 待っていた記憶があります。


ビルから出た後、自宅までの電車が止まっている人の塊が出来たので
「新宿から一番近い家の人っている?」
と質問されました。

この時すでに電車(特定の路線)、バス(渋滞)は動いておらず、また駅内に人が殺到し、退避所となる場所に移動しづらかったので、上司から質問が出たのだと思います。

「多分この中では私の家が近いと思います」
と言いました。

当時住んでいたのは京王線笹塚駅近くのアパートでした。
京王線を使っていた上司、同僚から
「電車が動くまでの待避所にさせてほしい」
と要望がありましたので
「電車が動くまでならいいですよ」
と言いアパートに案内しました。

※新宿から数駅までは動いていましたが
 途中から止まっていたので
 京王笹塚駅周辺に一番早くたどり着ける
 方法になったのだと思います。


考えることはみんな同じで、
報道されていた帰宅困難者の1人になりました。

当時の状況を説明します。
●公共道は車がいっぱい状態で渋滞し、
  上下線とも動かない。
●公共の大きな交通網はほぼ帰宅困難者の順番待ち、
   そのため並んでいる状態です。
●コンビニの飲食物もほぼ売り切れ、
   水も1人1本までの状態で何も買える状態はありません。
●トイレも公園、駅など共同トイレは順番待ち状態。
●携帯電話はつながりにくい。
●アパートの蛇口から出る水の勢いが
   半分くらいになっている状態思えた。

※コンビニは生活にかかわるもの
 以外が残っていて、
 私が入った場所は張り紙(売り切れ等)
 だけ残っている状態です。


私の中では世紀末のような感じがして、生きている心地がしなかったです。


帰宅後、同僚2人の電車路線の回復を待っていました。
帰宅困難者のために聖堂付近の施設を、一時退避所として開放されていたなとの記憶があり、
「素晴らしいな」
「佼成会はこのように物理的な対応もしてくださるのだな」
と感心しました。

※同僚が長時間私のアパートに
 いましたので、公共の待避所へ
 案内したほうが、リラックス
 できるのではないかと思いました。
   交通が少し回復していたので、
 自転車で聖堂そばの一時退避所まで行き
   受け入れ場所状況を確認できました。
   ただアパートに帰ると、
   2人とも電車回復したよと
 言って帰宅しました。


以上が私の震災時に遭遇した帰宅困難者の記憶です。


今回の記事は、震災中ありがたいと思える佼成会の対応に感謝と、教訓とするべきところがあると思い書かせてもらいました。


災害時の日本人の行動は、模範にするべきだと思います。
しかし現状、海外の方の往来が2011年に比べて多くなっておりますし、スマートフォンの変化、上下水道施設の耐久年数による二次被害など、災害時どのような状況になるのか、
想定ができにくい状態ではあると思います。

この事態を一個でも減らせるように行動するのが未来の自分への投資および家族、周りの人への感謝を表すことだと私は思っています。


私はプログラマで、スマートフォンアプリ、パソコンソフトなど制作経験があります。
震災も含め緊急事態等の負担軽減として、私に何ができるのかなと考えてみました。

私が制作できるかもと思った事柄です。
・デジタル媒体の導入、動作難易度を下げるような試み
 (目的:スマートフォンでの操作が一般的になっているので、それぞれの導入や操作難易度を下げるため)
  (例として:使いたいアプリ説明を画面に表示など)

・多岐にわたる情報取得の方法共有
  (目的:知識を増やすお手軽な方法の拡充のため)
  (例として:使いたいアプリの説明用サイトの案内など)


以下は詳細を記載しづらいので参考程度に
・多言語理解、情報共有、提供
・気象データ、環境データなどの知見の提供
・現在不自由に感じている事柄をデジタル対応による最適化


長文になりましたが、ご拝読ありがとうございました。

2025.03/07
(文・イラスト:あじでち)

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