釈尊降誕会は、お釈迦様ご生誕の地ルンビニーの花園に肖り、「花まつり」とも言われます。
府中教会では4月8日降誕会からの三日間、花御堂を設置して、花まつりをお祝いします。
皆さまの灌仏(甘茶供養)をお待ちしております。
〈府中教会4月開放日〉
開放日の10時~11時30分に参拝いただけます。
4月8日(土)、9日(日)は15時まで、10日(月)は11時半まで灌仏いただけます。
開放日(参拝可)=白い欄
釈尊降誕会は、お釈迦様ご生誕の地ルンビニーの花園に肖り、「花まつり」とも言われます。
府中教会では4月8日降誕会からの三日間、花御堂を設置して、花まつりをお祝いします。
皆さまの灌仏(甘茶供養)をお待ちしております。
〈府中教会4月開放日〉
開放日の10時~11時30分に参拝いただけます。
4月8日(土)、9日(日)は15時まで、10日(月)は11時半まで灌仏いただけます。
開放日(参拝可)=白い欄
少し変わっていて、少し読みたくなるコラム「あんきんの500字コラム」。いつまで続くか分からぬ不定期コラムですが、お付き合い頂けると有難いです。
※
最近、グチグチと不平不満を言う人と、「ありがとう」と喜びや感謝を言う人をよく見かける。
世の中の傾向は、大きく二つに分かれてきているのかもしれない。
小林正観 著「こころの宝島」という自己啓発本に、コップと水の例え話があった。
***
例えば、コップに水が半分あるとします。「半分しかない」と思えば、不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句の対象になります。不愉快で不機嫌な現象になります。逆に、「半分も残っている」と思えば、嬉しく・楽しく・幸せな現象になります。喜びの対象になるのです。同じ現象を見ても、とり方によって全く異なります。200㏄のコップに100㏄の水が入っているということが、とりもなおさず「空」である、ということだったのではないでしょうか。それを、「半分しかない」と思うことが一つの「色」であり、「半分も残っている。嬉しい」と思うことも「色」だというふうに釈迦は唱えていたように思えるのです。
***
愚痴を言うという選択。
感謝を伝えるという選択。
どちらを選択するかは、私にかかっている。
その選択の繰り返しが、私たちの人生である。
選択できるって、面白い。
出典:小林正観 こころの宝島 弘園社 1998年