1/31/2024

府中教会ニュース2月号<WEB版>

年明け、今年初の青年部「集会」が開催され、リアルで出会える喜びを分かち合いました。

(府中教会ニュース2月号・2ページ「青年部Info」参照)

↑画像をタッチすると「府中教会ニュース」のPDFファイルが開きます。


「文化の参照点が『集会』」(※参照点=価値判断基準)

「外へ出て、自分にとって必要なフェスティバルとかかわろう」


あるメディア研究者の言葉です。

インターネットの時代は、あと数年で終わるのではないか…とも言っていました。

(たしかにフェイクと誹謗中傷ばかりのネット情報は信頼できません。)


「フェスティバル」の語源は宗教的な祭典や祝祭日です。

皆さんにとって必要なフェスティバルとはなんでしょうか。


布教とは、信仰を持つ私が人と出会うこと

人と出会うことによってこそ、私たちの信仰は深まる


府中教会は今年50周年を迎え、コロナ禍の工夫としてZoom会議やYouTube配信もできるようになりました。

インターネットで瞬時につながることができる。だけど画面のこちら側で孤独を感じてしまうときがある。そんな今だからこそ、リアルな出会い、集いに心動かされ、サンガとのつがなりを味わい、信仰する価値の再発見ができるのではないでしょうか。


「恥じること」は、善く生きること。

会長先生は「つねに善き友に会って心をはずかしめられよ」という法然上人の言葉を引いて、サンガもまた仏さまであることをご指導くださっています。

身近なサンガとの出会いによって、相手に思いをかけてもらい、あたたかい心にもなります。そうすると、恥ずかしい生き方はできないと自分自身で気づくことができるのだと思います。


青年部「集会」の余韻に希望をふくらませつつ、さらなる出会いの場に期待をもって府中教会ホームページを綴ってまいります。

(このホームページも、インターネット時代の産物ですが…)


今年もどうぞご贔屓に。



下の青い文字をタッチするとPDFファイルが開きます。

府中教会ニュース2月号


──今月の記事──
▶2月会長法話
「恥じること」は、善く生きること
(佼成出版社の「お知らせ」文より)
会長法話の全文はこちらから

▶VOICE of
今回掲載のケヤキイラストを描き下ろしてくださった笠原愼介さんよりメッセージをいただきました。

▶2月府中教会開放日

青年部Info(青年部月刊ニュースレターVol.28)
※2ページめに続けてあります。
▶1.20青年部集会



(おまけ)

2月号会長法話<「恥じること」は、善く生きること>に登場する法然親鸞は師弟です。開祖さまのご著書から、お二人の上人について書かれた一節を紹介。


 親鸞上人は、自分は業が深くてどうにも救われない身だと思い込んでいたのですが、「阿弥陀如来は、そういう人こそ救おうとされるのだから、お念仏を唱えればいいのだよ」という法然上人の教えを聞いて、「これよりほかに道はない」と信心を決定(けつじょう)されたと伝えられています。

(中略) 

「自分の尊敬するお方のおっしゃることだから信じるだけだ。それがすべてで、ほかには何もない。念仏によってほんとうに浄土に生まれることができるのか、それとも地獄に落ちることになるのか、そんなことは知る必要もない」
 という純粋な信、それが、なんともいえず美しいと思うのです。

素直に信じる 
│たとい、法然聖人に
│すかされまいらせて、
│念仏して地獄におちたりとも、
│さらに後悔すべからずそうろう。
│──親鸞上人●歎異抄


引用 『人生の杖』庭野日敬

 


角川まんが学習シリーズ『日本の歴史』5
●鎌倉時代
法然登場シーンの模写



こちらは親鸞の模写

1/28/2024

『モン トレゾール(わたしの宝物)』vol. 6 ハンドクリーム

わたしは、仏さまの教えをもとに、出会うご縁によって心を磨いている、永遠の乙女『マリリン』です。


今年も不定期で、ゆるやかに、わたしらしく更新させて頂きます。どうぞよろしくお願い致します。


先日、午前中とくに予定がなかったので、ゆっくりと信者さんのところへ行って本をお渡し、ゆっくりとお買い物しようと街へ出ました。

(街…中河原)


信者さん宅にて

「いつもは他の買うのだけど今回売ってなくて買ったのだけど使う?」といって、ハンドクリームをくださいました。


お花の香りがするハンドクリーム、早速午後、母ちゃんと使わせていただこうと思ったら、なんだか嬉しくて、帰り道に泣けました。

実はこの日、午後セラピーの日(お見舞い)だったので、すごいタイミングで、仏さまからご褒美を頂いてるみたいで感動しちゃいました。


(母とのエピソードは前回の記事をご覧くださいませ)

『モン トレゾール(わたしの宝物)』vol. 5 シニアメイクセラピー

https://rkk183.blogspot.com/2023/12/vol-5.html?m=1


おまけにその帰り道、最近お会いしてなかったラジオ体操仲間のおじちゃんにお会いすることができ、出会わせて頂けたことに、またまた嬉しくなりました。


今日は母ちゃんとどんな出会いになるのかな…

どんな出会いでも、それが今のわたしにピッタリなことなのだと受け止められるわたしでありたい、受け止められなかったら受け止められない自分を認めていきたい。



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大丈夫

心配するな

なんとかなる


一休さんのことば



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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。合掌





1/20/2024

【速報】青年部が三部経読誦に挑戦 ──令和6年寒中読誦修行スタート!──

年明け、何かが起こる!?

──1.20集会
「仲間たちに会いたい」。
一人の青年部リーダーの願いから実現した集会は、一年で最も寒いとされる二十四節気の「大寒」に行われた。

この日は15日間の「寒中読誦修行」初日ということもあり、青年部リーダーで三部経読誦に挑戦。

★府中教会では、今年は各家で寒中読誦修行の三部経読誦を行います。
(この日は青年部のための一日限定、教会での寒中読誦修行でした。)

吉沼青年部長が導師、脇導師は大学生の二人。
よい響きの鐘と木鉦でした。
(写真は練習中の様子)


プログラムには二十歳新成人のお祝い、学生部の祈願供養を盛り込み、充実のイベントとなった。青年部リーダーたちが新成人を祝い、新成人たちは学生部の後輩たちが力を発揮できるよう祈る真心の連環。
あたたかさが府中教会サンガに広がり、青年部の次の「集会」への期待が高まる一日となった。


▼実行委員の大学生たちが大活躍だった準備の様子
受験や次の人生ステージに向かう学生部の
祈願絵馬を大学生たちが代表奉納

学生部の記念品は恒例の
「芯の折れない、心も折れない」アレ


大学生たちがお祝いの黒板アート作成中


できたー!!


Info
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寒中読誦修行とは
一年で最も寒さの厳しいとされる「大寒」から「節分」の時期に、『法華三部経』全巻を読誦し、それぞれ一年の心構えをつくるのが寒中読誦修行です。仏さまの言葉を通して読んでいくと、仏さまが私たちを何とかして救おうと、さまざまに教えを説いてくださっていることが感じ取れます。


1/16/2024

<新春特別寄稿>随想「明治生まれのおばば(祖母)の追憶」

令和6年、第一弾の記事は、新春特別企画としまして、府中教会壮年部の並河由浩さんに寄稿いただきました。

北海道夕張市生まれの並河さんは、学生時代から税理士業を目指され、国税局等の勤務を経て、平成17年に志を実現されました。年々厳しくなる経済環境下で「中小企業の応援団」としてご活躍中です。

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 随想「明治生まれのおばば(祖母)の追憶」

自らの生い立ちを遡ろうとすると、当たり前ですが、まず父と母がおり、更にその前は父方の祖父、祖母と母方の祖父、祖母が必ず存在する。

NHKテレビ番組「ファミリーヒストリー」のようなドラマチックなものではないが、子供の頃に両親に連れられて行った実家の明治生まれの祖母の思い出話です。

並河さんの故郷夕張市の
ふるさと納税返礼品


1 父方の実家は教員一家

父方の実家は岩見沢にあり、祖父は小学校の校長歴が長く、55女の大家族だった。

父は今は無き北炭(夕張)の会社員であったが、親戚は多くが教職についていた。

祖母は明治27年生まれで小さな体をしていたが、しっかり大所帯をまとめる大御所的な存在で、天理教信者であることを後年知った。

祖母とは大勢の中にいて一対一で話したことはほとんどなく、近寄りがたい印象しかなかった。

父の10人兄弟はみんな仲が良かったようで、長男の伯父(父は次男坊)を中心にまとまって、祖父母亡き後も岩見沢で「兄弟会」という懇親会を長い間続けていた。

その宴席では女性陣が声楽家のような美声で歌っていたのが印象に残っている。

歳月がたち、10人の兄弟姉妹も順次他界して、次世代のいとこたちがそれを引き継ぎ、幹事持ち回りで年1回「いとこ会」を北海道の各地で開催して、私も時々参加していたが、毎回20名以上の参加者で盛会だった。

そのいとこ世代もみんな高齢者になり、体力面やコロナ禍等もあって、会の存続は厳しくなってきている。

 

2 母方の実家の家業とおばば

一方、母方の実家は夕張市の真谷地で履物を主とした雑貨店を営んでいた。

田舎のせいかあまり商売っ気は感じられなかったが、自由で奔放な家風はお堅い教員揃いの父方より親しみやすかった。

母方の家族は父方と同様、54女(母は末娘)の子沢山であったが、早逝者が多く、祖父は大正14年に早くに亡くなった。

子供たちの中で明大、早大にそれぞれ学んだが、若くして病没した兄たちの事を母は残念そうに話したことがあった。

母のすぐ上の姉は日本に働きに来ていた台湾人と結婚して、戦後は夫の故郷である高雄で暮らしていたが、慣れない土地と蒋介石政権下でずいぶん苦労をされたようだ。

祖母は同じ夕張市内に住んでいたので、母の体調が悪い等何かにつけて、トウモロコシなど野菜を一杯入れた唐草模様の風呂敷包みを背負って家によく遊びに来た。

祖母のことを一般に「おばあちゃん」とか「ばば」と呼称するが、自分のことを「おばば」と言っていたので私も自然に真谷地のおばばと呼んでいた。

怒るときは目を大きく開けて怖い形相になるが、普段は優しく話し合える存在だった。

おばばは「腹八分目に医者いらず」と言うのが口癖だった。

子供の頃は食糧難の時代なのでこの言葉にほとんど気に留めることはなかったが、飽食の時代と言われる現代にはまさしく至言と言える。

 「おてんとうさまはいつも見ている」という言葉もよく聞かされた。

子供の時は「お天道様」という漢字が分からず、単純にお日様(太陽)のことか思い、成長してからは天にいる神様かと考えたが、今は自分の心の中にある戒めと理解している。

明治17年(1884年)石川県で生まれ育ったおばばは会津魂にあるように、「ならぬものはならぬ」という明治人らしい毅然とした姿勢で激動の時代を生き抜いて、昭和51年に92歳でこの世を去った。 ああ、明治ははるか遠くなりにけり


3 日露戦争とその後の歴史

おばばの話で一番鮮明に記憶していることは明治38年の日露戦争の勝利の提灯行列とその時の囃し唄である。

「♪ニッポンニッポン 勝った勝った ロシア負けた ロシアの軍艦 底抜けた。♪」

この唄というか囃しは何故かデズニーのミッキーマウス・マーチのテンポに似ており、一度聞くと忘れられないが、貴重な歴史の伝承と思っている。

私の二人の妹にもこのうたのことを確かめたが、よく覚えていると言っていた。

このような民衆のうたはその前の日清戦争勝利の際もあったようで、更には幕末期に列島を揺るがしたお蔭参りなどの「エエジャナイカ」にも通じるのかもしれない。

余談ですが、ラッパのマークの大幸薬品の「正露丸」のもとはロシアを討つ弾丸に思いを込めた「征露丸」が始まりである。

世界中を驚かせた日露戦争勝利の後、列強の仲間入りをした日本は軍拡路線を歩み続け、対米宣戦布告をした太平洋戦争はその名の通り太平洋、南方が主戦場であったが、終戦直後に千島列島最北端の地で行われた「占守島(しゅむしゅとう)の戦い」を忘れてはならない。

日ソ不可侵条約を破って侵攻したソ連軍を退けた日本陸軍の占守島の戦いは戦後の北海道分割統治というソ連の野望をくじくことにもつながった。

日本軍優勢に推移していたが、既に国としては終戦を受け入れていたため、「打ち方止め」となって武装解除され、2万余名がシベリアへ抑留されるという悲劇で終わってしまった。

浅田次郎の小説「終わらざる夏」はこの占守島の戦いをテーマとした感動的な小説である。2022年2月からのウクライナ侵攻を見るにつけ、ロシアは昔と何も変わっていないという嘆きを通り越し、強い憤りを覚える。


Info
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『終わらざる夏』浅田次郎/集英社文庫
歴史の闇の中になかば隠れつつあった占守島の戦いを現代に伝える作品。