2/04/2023

母と青い車(座間支部長)



座間支部長のお母様と愛車

この記事は、令和5年2月4日開祖さまご命日にYouTube配信をした、座間透江支部長のお話(原稿アーカイブ)より、抜粋してお届けします。

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◆車と母の人生

 実家の母が80歳になり立正佼成会の主任の役を降りたら、免許を返納するという話になりました。ところが、主任の役を降りても変わらず車で布教する日々。同時に目が…腰が…と言いながら体は少しづつ衰えていきます。大きな事故も起こさずにいましたが、家の駐車場などで車をこすることが増えたことや、高齢者の事故のニュースを聞くたびに、もしも…と家族みんなが心配していました。

 この頃から、兄・兄嫁・妹と私で、母の免許返納について、どのように伝えたらいいかをみんなで話し合うようになりました。

 母は24歳で結婚し、翌年には兄が誕生し、私がおなかにいるときには、稼業の為に免許を取りました。その後、父が病に倒れてからも運転免許があったおかげで、立正佼成会の布教に精進しながら、父の看病と子育てに一生懸命でした。

 その母の人生を讃えながら、兄が母に免許返納の話をしてくれることになりました。しかし、母は、その場では「そうだね」と言いながら、免許返納に向かう兆しがありませんでした。同乗する孫からも「おばあちゃんの運転怖いよ」と私たち家族の耳に入るようになり、正直「困ったな」と思うようになりました。

 母の子供である私たちは、母のためにと思っていろいろとタイミングや言葉に配慮して伝えてきましたが、なかなか母の心に響かないようです。


◆「ちっともよくないよ」

 あっという間に一年が過ぎ、母の車の車検が切れるという昨年の秋になりました。母が煮え切らないので、兄の口調も強くなりケンカにまでなってしまいました。一緒に暮らす兄や兄嫁の立場や気持ちを汲むと、私からも言ってくれという兄のリクエストにも応えたくなりました。普段も母の気持ちを聞くのは、私の役でした。

 しかし、母と話しても、最後は「誰も私のことはわかってくれない」という言葉で終わるので、どうしたものかと思いながらもそれ以上何もできずにいたのです。

 車検は通して、また返納が先に延びるなとみんなが思っていたある日。車検が切れる2週間前に、突然「車を処分してきたよ」とさらりと言って晴れ晴れとしているので、一同びっくりと同時に口々に「それは良かった」と母に言いました。

 しかし、母は「ちっともよくないよ」と言うので、兄は「車を廃車するなら、一言いえば送迎したのに…」という、かみ合わない問答だったそうです。


◆尊厳の学びをとおして

 この一連の流れの中で、ちょうど光祥さまから「尊厳の学び」というテーマで学ぶ機会を得ていて、日々「母の尊厳とは」をずーっと考えていたのに、それらしいことにたどりつかずにいました。せめて母が廃車したときの気持ちを聞こうと電話をしたら、思わぬ言葉が返ってきました。

 「あなたを妊娠中に免許を取り、57年間、本当に免許にも車にも感謝しかなかったから、車屋さんに返す時、車に感謝したくて、花束を買って助手席に置いてきたんだ」と言うのです。そして廃車にした翌日、免許返納の手続きもしたという事でした。

 私はこの話を聞いたときにも、「母らしいな」と思うくらいで「とにかく良かった」と話をまとめていたのです。が、そのときも母は「ちっともよくないよ」と言うのです。
 母の「ちっともよくないよ」という言葉がずっと心に残りながら、その晩の読経供養中に、母が花屋さんに行って車にお礼をしようと花を選ぶ姿が想像でき、涙が出ました。

 そして次の瞬間、苦労の多い人生を送る母の足として大活躍した車や免許証と、どうお別れするかを母は母なりにずっと考えていたのだと思ったら、涙が止まらなくなりました。そして私が拝むべき母の尊厳は「時期が来たら自分でちゃんと免許返納できる母の尊厳」であり、その母を信じてあげることが大切だったと気づいたのです。すぐ、母にそのことをお詫びしようと電話をしました。母は「そんな風に拝んでくれてありがとう」と照れながら「ちっとよかったよ」と言ってくれました。

 このように自分が困ってしまうスイッチの方が入りやすく、失敗ばかりの私ですが、失敗しても自分の気持ちも相手の気持ちも大事にしていくと、理解し合えるということを身をもって学びました。これからも失敗を恐れずに精進してまいりたいと思います。


info
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尊厳(ディグニティ)は簡単に傷つく。
いつも尊厳の学びの途中です。

『ディグニティ』ドナ・ヒックス/幻冬舎
内容(「BOOK」データベースより)
生まれながらの権利であるはずの尊厳―"尊厳"。自らを、そして他者を傷つけ、傷つけあうようにできている私たち、人間。自分を愛し、人と幸福に生きるために必要なものとはなにか。新機軸の「Dignityモデル」で、理想的な人間関係を構築する方法を解説した、著者渾身の一冊。初邦訳で登場。

2/03/2023

府中教会で「福は内」

大寒から15日間にわたる法華三部経の寒中読誦修行を終えました。

今年はひときわ「寒中」が身に沁みる冷え込みようでしたが、皆さまお元気ですか。

節分を節目として、明日には立春を迎えます。


府中教会では、本日脇導師の皆さんと盛大に豆まきを行いました。

みなさまに福をお分けできますように願い、精一杯の大きな声で「福は内」と元気を放ちました。

新しい年も元氣に精進してまいります。

合掌(佐藤)


小袋入りだと撒いた豆を拾いやすく
サンガにお分けしやすいのです


鬼を探す三人(?)

全部屋をまわり、福は内!


玄関の寄せ植えが皆さんをお迎えします

2/02/2023

≪Nオヤジのつぶやき≫レインボーチルドレン

 府中教会のNewcomerか、はたまたNeighborhoodのおじさんか、
2月15日涅槃会にあやかり、Nirvanaを目指すのか。
謎のNオヤジがつぶやくコラムです。

不定期便でゆるっとお届けしてまいります。
府中教会で撮影したNostalgiaな写真と共にお楽しみください。

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2022年早春、府中教会の河津桜


レインボーチルドレン

皆さまは「レインボーチルドレン」という言葉を聞いたことはありませんか?
レインボーチルドレンは生前の記憶をもつ子供たちの事をいいます。
この子供たちの事について医学、心理学、物理学の先生方が関心を寄せています。
人間とは何か、私たちは何処からきて、どこへ行くのか、誰もが知りたい内容について、子供たちが無意識に教えてくれるのだそうです。

2021年11月、府中教会玄関のガラスを磨く子どもたち


この子供たちに話を聞くと、全員が共通して話すことは、生まれる前に神さま仏さまに、「こういう人生を歩みたいです」「こういう試練を乗り越えてきます」という人生計画を立て、神さま仏さまの許可を得られた人だけが、その人生計画を全うする為に必要な両親を自ら選んで生まれてくるのだというのです。そして家族、友達、自分の人生に関わる全ての人も、実は自分で選んでその人にお願いして目の前に現われてもらっているというのです。
つまり、自分の人生は自分の描いた通り、たとえ苦しい人生でもそれを通して自分の魂の向上の為に、そういう選択をしてこの世に出てきたというのです。

2022年、葉桜のころ

俄かには信じがたいと思う方が大半かと思いますが、現実に小学生以下の子供たちが語り始めているのです。
お経の中にも「願生」というのがあり、この世に目的を持って願って生まれてきたというお釈迦様の教えがあります。当にこの教えの正しさを子供たちが証明してくれています。

府中教会に咲く睡蓮


裏を返して申し上げれば、例えどんな人生を歩んでいようとも全く心配ない、自分の魂の向上のために必要あって生じている現象だということです。
経済、病気、人間関係の問題を抱えている方も、全て神さま仏さまと約束してきた通り、シナリオ通りに進みながら、安心して自分の人生を全うしていく事が大切なのかもしれません。

水の玉は無色でも、葉の上では緑に輝く


全て、神さま仏さまはお見通しという事なのだと思います。
今、苦しんでいる人は、そんな理不尽なと思うかもしれません。
親は何があっても子供を見放すことはありません。それ以上に、神さま仏さまは我が子である私たちを静かに温かく見守り、いつでも手を差しのべてくださっています。神さま仏さまを感じられる自分になっていれば、その理不尽さも受け入れる事ができるのではないでしょうか。
なぜなら神さま仏さまは、寛容さが大切と教えてくださり、全てを受け入れてくださっているからです。

府中教会の駐車場に桜色のハート


子は親を教化するといいます。子供たちから学ぶ事はたくさんあります。
ありがたい自分の人生を精一杯生きる。そして自分の魂を少しでも向上させ、神さま仏さまの御許に戻っていく。この世の事は夢のまた夢。儚い人生の時間を無駄には出来ません。あの世に戻った時に胸張って神さま仏さまに自分の人生を報告できる、人生楽しかったと言える自分になりたいとこの子供たちを通して教えて頂きました。

2/01/2023

「他人事」を「自分のこと」に(2月会長法話より)

2月の節分明け、立春より四緑木星の年に入ります。
四緑は、活動・成長・信用・ネットワークの象意(九星がもつ事象の主だった意味)があります。
信用を得て、成長していくためには、誓願を言葉にしていくことが大切。
まわりの人たちに「ありがとう」を伝え、感謝のネットワークを広げていきたいですね。

▼2月会長法話の全文はこちらからどうぞ。

 「他人事」を「自分のこと」に
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今月は、会長先生がご法話で引用された、在原業平一休に注目して参ります。




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「慢心」や「おごり」に気づく
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ついに行く 道とはかねて
聞きしかど 昨日今日とは
思わざりしを
        在原業平

(いつか死の道を通ると聞いていたけれど、自分のこととして、これほど間近に迫ってくるとは思いもしなかったなあ)

平安時代の歌人、在原業平が詠んだ、自分の慢心を悔いて嘆くような辞世の句です。
そこに歌われているのは、これまで連続すると信じて疑わなかった過去・現在の時間と、未来の時間との断絶であると言われます。

老いも病も死ぬことも、それを自分のこととして受けとめるのはだれしもいやなものです。いつまでも、それらが他人事であってほしいと願うのが人情なのかもしれません。

在原業平(ありわらのなりひら)は、小野小町や遍昭などと並ぶ六歌仙の花形です。端正な容姿に恵まれ、皇統の血をつないで自由奔放な行動を示し、華麗なダンディズムを謳歌。二条后や伊勢斎宮との不敵な恋に生きたとされるなど、多情多感な色好みの代名詞として小町と匹敵する伝説を残しています。
『伊勢物語』の昔男のモデルでもあり、無用者を標榜した東下りの話は特に有名でです。(880年に56歳で亡くなっています。)

まだ若いと思って自由奔放に生きてきた者にとっては、身につまされるような思いになる歌です。

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真に健康な人生を
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2月15日は涅槃会です。
師の入滅を前にして号泣する阿難に、「阿難よ、泣くな。生じたものは必ず滅するのだ」と、釈尊は決然と真理を伝えられたといわれます。

生まれては 死ぬるなりけり
おしなべて 釈迦も達磨も
猫も杓子も
          一休

一休宗純(1394─1481)は、足利義満の時代から、応仁の乱を始め、戦国の時代を生きぬいて、単に仏教界のみならず、日本の思想的展開の上においても特殊な足跡を残した禅僧です。
父は北朝系の後小松天皇、母は南朝方の公家花山院某の娘と伝えられています。

川端康成が、ノーベル賞受賞した時の記念講演「美しい日本の私」において、明恵上人から始まって、西行・道元・良寛と話して来た後、一休の二度の自殺をとりあげています。
無心自在の極みの境地に遊び、一見いかにも親しみ易く見える一休が、「実はまことに俊厳深念な禅の僧であった」ことを説いています。さらに、彼が禅の戒律を超越し、当時の宗教の形骸化に反逆し、戦乱で崩壊した世道人心のなかに、「人間の実存、生命の本然の復活、確立を志した」ことに及び、有名な「仏界入り易く、魔界入り難し」の話に至っています。

人生に絶望し、二度の自殺未遂を経ながらも禅の境地を極め、満87歳の生涯を全うした一休の心情は深淵ですが、だからこそ、洒脱な言葉も私たちに響くのかもしれません。


真に健康な人生は、他人事(ひとごと)を自分のこととして、人の悲しみや苦しみを共に味わうところにあります。愛しみや思いやりの心をもつことで、菩薩行につながり、感謝と喜びで日々を送ることができます。

釈尊が「すべてのものごとは移り変わり、あらゆるものごとは縁によって起こる」という真理を説かれ、入滅を前に「自灯明・法灯明」を伝えられたことの意味を、在原業平や一休の歌に学び、深く受けとめて参りたいと思います。
合掌



受験生のがんばりを他人事ではなく自分のことにする青年部
(記念品の「芯の折れないシャープペン」と絵馬風メッセージカード)


Info
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参考文献
『コレクション日本歌人選 在原業平』中野方子/笠間書院
『一休ばなし集成』(財)禅文化研究所

(アイキャッチ写真)
『阿・吽』おかざき真里

真言密教を広めていく空海。
天台法華を苛烈に求めるあまり孤立さえ恐れない最澄。
天才二人の旅路の行く末は・・・。
全14巻、超オススメのマンガです。

(一休宗純ではなくてゴメンなさい。)


<2月 府中教会 開放日>
開放日の10001130に参拝いただけます。
参拝される際は、担当主任までお知らせください。
※感染拡大の状況により、急きょ閉館となる場合もあります。
開放日(参拝可)=白い欄