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10月4日は「開祖さま入寂会」です。
開祖さまが創設した「世界宗教者平和会議」は、1970年(昭和45年)に第1回大会が開催されました。長年、対立と分裂の歴史を繰り返し、時には争いの要因を生み出してきた宗教者が、手を携えることなどできるのか―― 当時は宗教協力の実現を疑問視する人々もいるなか、開祖さまはひたすら世界の宗教指導者に理解と協力を求め、宗教協力活動に心血を注ぎました。
開祖さまが創設した「世界宗教者平和会議」は、1970年(昭和45年)に第1回大会が開催されました。長年、対立と分裂の歴史を繰り返し、時には争いの要因を生み出してきた宗教者が、手を携えることなどできるのか―― 当時は宗教協力の実現を疑問視する人々もいるなか、開祖さまはひたすら世界の宗教指導者に理解と協力を求め、宗教協力活動に心血を注ぎました。
会長先生は、2001年9月11日アメリカ同時多発テロのあと、10月にはニューヨークへ、翌年の1月にはイタリア(平和祈願の日の集い)へ出向かれました。6月にはアジア宗教者平和会議(ACRPⅥ)に臨まれるにあたり、世界の諸宗教者へ向けた平和に関するスピーチに、会長先生はどのような思いを託されたのでしょうか。
『躍進』6月号「怨みを超える」で、「かけがえのないいのちをいただいている大切な時を、怨んだりいがみあったりすることに費やすのはもったない」とし、次のように述べられています。
これは仏教の根本である無常の法を自覚することによって得られる智慧であり、その自覚、その智慧が怨みを捨て去る力となるのです。「怨みを超える」の「超える」とは、真理を自覚することを意味しているのです。
こうした自覚があれば、忍辱の教えを受けて相手に譲歩したときでも、それを負けや屈伏と受けとめることはないと思うのですが、もしそのように感じるのであれば、「負けた」のではなく「負けることができた」と受けとめてはどうでしょうか。
10月は、宗教協力活動に心血を注がれた開祖さまに学び、自他ともに穏やかに生きる智慧として、ときには「損をする」ことで、怒りに冒されない生き方を心がけてまいりましょう。
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