3/31/2025

【超短信】ちょこっと府中◆米寿イヤーを祝う3月

立正佼成会創立の月、3月後半の府中教会をちょこっとずつ、超高速で振り返ります。


活き活きとつながろう

あなたも私も苗代さん‼︎

(府中教会スローガン)



20日、大聖堂へ代表20名で米寿参拝に行って参りました!





防火防災設備説明会で、消火器や警報の扱いなどを確認しました。

ヘルメットの着用もバッチリ!



壮年草刈り奉仕

ありがとうございました!






フィリピンのフレンドシップタワー50周年で現地に奉納する千羽鶴が、皆さまの真心の結集により出来上がりました。



おまけ写真

府中市の東郷寺は、桜の名所。

立派な門は、映画『羅生門』のモデルになったとか。

小雨降る中でもたくさんの参拝者が来られていました。

(3/31撮影)



4月も宗教の「信仰者」として、徹底した慈悲と思いやりの心で人さまとふれあってまいりましょう。


文・写真 佐藤




3/20/2025

【短信】ちょこっと府中◆米寿イヤーSP・シーズン春

永遠のいのちは これからも

果てなく広い 大空のように


会長先生の米寿記念合唱曲

「大空のように・・・」


府中教会では9時の読経供養のあと、毎朝、歌っております。



3月20日は春分の日、

そして、立正佼成会 庭野日鑛会長の誕生日です。


立正佼成会の創立と同じ、昭和13年にお生まれの会長先生は今年、満87歳。

数えで88歳の米寿です。

今年は、米寿参拝(通称 コメコメ参拝)として、全8回にわたり、全国238教会が本部参拝で会長先生の賀寿をお祝いします。


府中教会は3月20日、会長先生の誕生日当日に参拝のお手配をいただき、寿ぎの準備を重ねて参りました。


その様子も、最後にちょこっとだけご紹介。



まずは、3月5日 創立記念日

長年にわたり布教に邁進した幹部への功労者表彰があり、府中教会からは4名が会長先生より感謝状を賜りました。


功労者の皆様とご家族をお点前でおもてなし


功労者の皆様に
感謝状と記念品が贈呈されました。



創立の月である3月いっぱいのお参りで
記念品(お赤飯)がいただけます。



今年こそは!

壮年有志の皆さんのお力で、蓮の泥の入れ替えを行います。

泥を全部掻き出します。


掻き出した泥を埋める穴掘り

穴を掘るのもたいへんです!


地球外生命体!?

・・・届いた蓮です。



青年部健幸行(けんこうぎょう・奉仕で身体を動かし、心も身体も健康で幸せに)は婦人部の皆さん、そして春休み期間ということもあり大学生の皆さんも集いました。

何をしているのでしょうか?

フィリピンのフレンドシップタワー
お供えする千羽鶴を折っていました!


大学生の二人は春のお彼岸会で
太鼓のお役を引き受けてくれました。
心合わせてシャドー練習。



3月16日には春季彼岸会を行い、法要のあとの「人生100年時代のライフプラン」の講演が大好評でした。

講演者の方と、かつてご縁のあった方が三十数年ぶりの再会。
ご一緒にお焼香をいただきました。



最後は米寿参拝での寿ぎグッズの作成現場から。

3月20日、会長先生に披露しました。






活き活きとつながろう

あなたも私も苗代さん!!

「苗代さん」って、なんでしょうか。

人をあたたく育むことで、自ら一歩を踏み出せるよう応援する人です。


府中教会には、教えの先輩に育てていただいた「おかげさま」の喜びを知っている「苗代さん」たちが、たくさんいらっしゃいます。


どうぞ春の到来を喜びあい、出会いを楽しんでまいりましょう♪


3/07/2025

天災は忘れた頃にやってくる


れた頃にやってくる

お馴染みの名文句は、夏目漱石の小説『三四郎』に登場する科学者のモデルとしても有名な寺田寅彦の発案とされています。

1923(大正12)年の関東大震災を44歳の時に体験し、それに基づき、地震・津波・火災・噴火に関する先駆的な論考を残し、平時における備えと災害教育の重要性を説く物理学者の寺田。自然と人間の行動に関するユニークなエッセイを数多く執筆しています。

随筆集『ピタゴラスと豆』(寺田寅彦/角川文庫)には「震災日記」が収録。
巻末の地球科学者鎌田浩毅による解説にこうあります。

 関東大震災を経験した寺田の議論はいまだに有効で、2011年から「大地変動の時代」に入った現在の日本列島を考えるためにも非常に役に立つ。我が国では首都圏を始めとする大都市に人とシステムが集中し、その勢いは1923年の関東大震災後はおろか、2011年の東日本大震災の後も留まることを知らない。


首都圏の混乱によって、東北の災害対応が遅れたことは、私自身、職場にて被災地の後方支援をしているなかで、痛恨の極みとして今でも忘れがたい負の思いです。

地球科学者の鎌田氏は、寺田寅彦の言葉を借り、私たちに重い言葉を投げかけます。

 

 90年以上も前の寺田は、関東大震災の直後から「災害を大きくしたのは人間」という卓見を表明した。すなわち、もともと自然界に蓄積されたエネルギーには良いも悪もなく、そのエネルギーを災害として増幅させてしまうかは、人間の所為によると喝破した。ちなみに、彼は『天災と国防』というエッセイで「災害を大きくするのは文明人そのもの」と記している。


 阪神・淡路大震災から30年の節目であり、能登半島地震から一年に当たる今年の1月に出された『避災と共災のすすめ──人間復興の災害学』(永野 海/帝京大学出版会)では、自然はときに圧倒的エネルギーを見せつけ、人命を奪い、住まいや生活を破壊することに打ちのめされつつも、希望を失いません。
 自然災害と闘うのではなく、うまくかわしながら命や生活を守る必要があるとし、災害を避ける「避災」と、災害を受け入れ、理解することから始めなければならないとする「共災」を説いています。

 本書で感銘を受けた言葉が「被災者支援は明るく、楽しく、しつこく」です。

 よいことを真心こめてくりかえす。楽しくなるまでくりかえす。
 本会が大事にしているこのフレーズと似ています。

 『佼成』3月号の会長法話は「天地自然のおかげさま」。
 天地自然の摂理(真理)をかみしめ感謝がわき上がると、仮に困難のなかでさえ「おかげさま」に気づいて幸せが得られる──心が救われると、会長先生はご指導くださいます。

「おかげさま」をみなさんとともに
伝え、広めること。

 ホームページをご覧くださっているみなさまの「おかげさま」を、ぜひお寄せください。
 「おかげさま」が集まるところがオアシスとなります。
 そこが苗代となって人が育まれることを、みなさまの日々のあたたかい触れ合いのご様子から確信しています。

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Info 参考図書

『ピタゴラスと豆』(寺田寅彦/角川文庫)
『避災と共災のすすめ──人間復興の災害学』(永野 海/帝京大学出版会)

東日本大震災を振り返る




時系列、詳細内容など当時の私の記憶を参考に文章を記述しています。
間違い等はご了承いただければと思います
また以下の文頭※ですが当時の状況注釈、
私の記憶(あいまい)を記載しています。


西暦2011年03月11日14時ごろ、私が被害にあったのは東京で、一番揺れを感じた時間帯だと思います。
※気象庁データとは認識が
 違っていたかもしれません。


震災当日、私は新宿三丁目付近のオフィスビル12(13かも?)階で働いていました。
デスクワーク(業務内容)でしたので、その時「なんだ、なんだ」としか考えられず、同僚も揺れが大きくなるたびに「やっべ」を言うしかありませんでした。
ただ必死にオフィス内の棚を倒れないように抑えることだけしていました。
あまりにも大きな変化に対応できず、その場をしのぐことしかできませんでした。

※揺れはオフィスフロアの大きさ分、
 横にずれた感覚がありました。
 20階建の高層ビルでしたので
 警報音はなっていたかもしれませんが
 覚えていません。
  (揺れが大きすぎて私が認識できて
 いなかっただけかもしれません)


そして揺れがおさまった状態でインターネットを見ると、津波が来るかもの画面が出ていて、その時初めて大きな地震でこの状況になったんだと認識できました。
数分後、ビルから退避勧告が会社側に通知されました。
早々に仕事を区切る話をして、帰宅困難者がいるかの確認が始まりました。
公共交通機関で帰る人、歩いて帰る人に分かれる状態でビルからの案内に従い退去しました。

※職場はビルの中階に位置していました。
 エレベータが止まり、階段、
 非常階段とも退去する人で
 いっぱいになり動けませんでした。
 ビルの案内に従うのが安全、
 確実に退去できると思って
 待っていた記憶があります。


ビルから出た後、自宅までの電車が止まっている人の塊が出来たので
「新宿から一番近い家の人っている?」
と質問されました。

この時すでに電車(特定の路線)、バス(渋滞)は動いておらず、また駅内に人が殺到し、退避所となる場所に移動しづらかったので、上司から質問が出たのだと思います。

「多分この中では私の家が近いと思います」
と言いました。

当時住んでいたのは京王線笹塚駅近くのアパートでした。
京王線を使っていた上司、同僚から
「電車が動くまでの待避所にさせてほしい」
と要望がありましたので
「電車が動くまでならいいですよ」
と言いアパートに案内しました。

※新宿から数駅までは動いていましたが
 途中から止まっていたので
 京王笹塚駅周辺に一番早くたどり着ける
 方法になったのだと思います。


考えることはみんな同じで、
報道されていた帰宅困難者の1人になりました。

当時の状況を説明します。
●公共道は車がいっぱい状態で渋滞し、
  上下線とも動かない。
●公共の大きな交通網はほぼ帰宅困難者の順番待ち、
   そのため並んでいる状態です。
●コンビニの飲食物もほぼ売り切れ、
   水も1人1本までの状態で何も買える状態はありません。
●トイレも公園、駅など共同トイレは順番待ち状態。
●携帯電話はつながりにくい。
●アパートの蛇口から出る水の勢いが
   半分くらいになっている状態思えた。

※コンビニは生活にかかわるもの
 以外が残っていて、
 私が入った場所は張り紙(売り切れ等)
 だけ残っている状態です。


私の中では世紀末のような感じがして、生きている心地がしなかったです。


帰宅後、同僚2人の電車路線の回復を待っていました。
帰宅困難者のために聖堂付近の施設を、一時退避所として開放されていたなとの記憶があり、
「素晴らしいな」
「佼成会はこのように物理的な対応もしてくださるのだな」
と感心しました。

※同僚が長時間私のアパートに
 いましたので、公共の待避所へ
 案内したほうが、リラックス
 できるのではないかと思いました。
   交通が少し回復していたので、
 自転車で聖堂そばの一時退避所まで行き
   受け入れ場所状況を確認できました。
   ただアパートに帰ると、
   2人とも電車回復したよと
 言って帰宅しました。


以上が私の震災時に遭遇した帰宅困難者の記憶です。


今回の記事は、震災中ありがたいと思える佼成会の対応に感謝と、教訓とするべきところがあると思い書かせてもらいました。


災害時の日本人の行動は、模範にするべきだと思います。
しかし現状、海外の方の往来が2011年に比べて多くなっておりますし、スマートフォンの変化、上下水道施設の耐久年数による二次被害など、災害時どのような状況になるのか、
想定ができにくい状態ではあると思います。

この事態を一個でも減らせるように行動するのが未来の自分への投資および家族、周りの人への感謝を表すことだと私は思っています。


私はプログラマで、スマートフォンアプリ、パソコンソフトなど制作経験があります。
震災も含め緊急事態等の負担軽減として、私に何ができるのかなと考えてみました。

私が制作できるかもと思った事柄です。
・デジタル媒体の導入、動作難易度を下げるような試み
 (目的:スマートフォンでの操作が一般的になっているので、それぞれの導入や操作難易度を下げるため)
  (例として:使いたいアプリ説明を画面に表示など)

・多岐にわたる情報取得の方法共有
  (目的:知識を増やすお手軽な方法の拡充のため)
  (例として:使いたいアプリの説明用サイトの案内など)


以下は詳細を記載しづらいので参考程度に
・多言語理解、情報共有、提供
・気象データ、環境データなどの知見の提供
・現在不自由に感じている事柄をデジタル対応による最適化


長文になりましたが、ご拝読ありがとうございました。

2025.03/07
(文・イラスト:あじでち)