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2/27/2023

<楽曲作り>桜咲くレコーディング

府中教会の河津桜が咲き始め、オリジナルソングのレコーディングはいよいよ本番を迎えました。

前回のテストレコーディングから早3週間。


つぼみがほころびはじめた河津桜


今回はコーラスに新メンバーが加入!


この背中はだれ?


ヨシヌマ青年部長と一緒に歌うのは……


フレッシュなメンバー!



新メンバーは、ショウタさん。

作曲、編曲の赤澤さんを囲んで、記念写真をパチリ。

これで、レコーディングが完了し、あとは赤澤さんの手によるミックスダウン、マスタリングを経て、いよいよリリースとなります。

MV制作も並行して進めておりますので、出演いただける青年部のみなさんは、ヨシヌマ部長、またはテヅカ部長にお知らせください。

発表は5月青年の日を予定しています。

お楽しみに!

買うなら食べろ 食べなきゃロス

 


月イチ開催のフードバンク府中による食料配布に、3回ほど参加させていただいた。
コロナ渦でアルバイト先を失った留学生も多く、配布食品で2週間を過ごすという。健気なやり繰りに感心しつつ、目の前で喜ぶ彼らの台所事情へと思考が続く。

ひるがえって、わが家のパントリー事情はどうなっているのか、引き出しの中身を全部出してみた。
春雨、わかめ、昆布、高野豆腐、買い溜めした出汁、鮭缶…沢山の食料品たち。健康にいいし、乾物は日持ちするし、災害時の備蓄用になるしと、たくさんの言い訳とともに眠っていた。
お店で買い物しているときの私は、「きょうの料理・やる気仮面」になっている。だが買い物を終え、家に帰ると、「今日はやめとこ仮面」に取って代わる。
せっかくわが家にやってきた食材は、「取りあえず、しまおう!」と引き出しへ押し込まれた。
これが食品ロスの始まりだ。

フードバンクの目的の一つは、フードロスを無くすことである。いつの間に帰ってきた「やる気仮面」が恥じ入るように「おつまみでも作ろう」と言う。ワカメと春雨とツナがキッチンへ運ばれていく。わが家のパントリーは、こうして食品ロスは免れた。
だが、まだ冷凍庫内記憶喪失救出作戦が控えている。

食品ロス発生の危機はさらに続く。
(杉山良江)

2/11/2023

マンガ『阿・吽』読書会に参加しました

府中の普賢寺のイベントをチェックしていて、マンガ『阿・吽』オンライン読書会を知りました。

『阿・吽』全14巻


ちょうどお正月に『阿・吽』全14巻をイッキ読みしたばかり。
空海と最澄の「救い」とは何かを探求していく生涯に、力をもらっていました。

読書会は、一般社団法人ダイアログ・ラーニングの井上真祈子さんの司会で、普賢寺の小野常寛住職長野にある長谷寺の岡澤慶澄住職が、最澄の天台宗と、空海の真言宗の信仰体験を解説。

さらに、書家の薛翔文さん身体教育家の林久仁則さん(NHK趣味どきっ!に出演)、教育系企業会社員の竹内新さんをゲストに多彩な視点で『阿・吽』の世界観が語られました。
Zoomの参加者は総勢43人。

チャット欄で自由に語り合える雰囲気でしたので、私も質問してみました。


◆最澄と徳一の「三一権実論争」

問い「なぜ最澄は徳一に対して、あれほど激昂したのでしょうか」


出典:『阿・吽』13巻「徳一菩薩」おかざき真里
徳一に激昂する最澄

マンガでは13巻、坂上田村麻呂の東征などを経て復興しつつある、純朴な会津の人たちが描かれます。

出典:『阿・吽』8巻(扉絵・坂上田村麻呂)おかざき真里
三春駒は坂上田村麻呂の伝説から生まれました。


出典:『阿・吽』13巻「徳一菩薩」おかざき真里
ジョウブツできなくても?

私は福島の出身ですが、会津にも磐城(いわき)の古寺名刹にも、徳一菩薩の布教の事績が残されています。

『阿・吽』では、最澄と烈しく論争するヒールとして描かれている法相宗の徳一。

「一人残らず救う」と誓願する最澄に対し、「荒涼とした現実にさえ己の分がある。己の役割を知らせてやるほうが生きる実感があろうというもの」と疑問を投げかける徳一。
一乗真実、三乗方便はまやかしで、三乗こそ真実と言う徳一の真意はいかに。

二人の激烈な論争は、すべてに仏性有りという思想に対する問答であり、仏教史上最大の対決です。

そのあいだで最澄を心配する空海の姿も、マンガでは印象的。


◆最澄も徳一も人々を導こうという思いは共有

小野住職が、最澄の「すべて救う」という願や、徳一が当時から東北の人々に慕われていたことなどを教えてくださいました。

参加者の中には、徳一開山のお寺のご住職もいらっしゃいました。

出典:『阿・吽』4巻「三車火宅」おかざき真里
「救い」は無限です!


「わかりきらないまま、わかろうとする…」
という小野住職の言葉も心に残りました。

両者が目指す方向は異なっていたとしても、言葉と論理を用いてそれぞれが思う正しい方向に赴こう、人々を導こうという思いは共有していたのではないか。
(『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』師茂樹)


「正しい」とは…。
最澄徳一の論争に、空海はどのような視線を向けていたのか。

最澄と空海の二項対立では見えない信仰世界が、徳一や坂上田村麻呂などを交えた群像劇のなかで、「救い、救われ」とは何かを読む者に問いかけます。

『阿・吽』読書会は続編がありそうです。
次回はぜひ、みなさんも参加してみてはいかがでしょうか。
(さとう)

Info
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次回の読書会は、普賢寺Facebookのイベント情報をチェック!

<参考資料>
マンガ『阿・吽』おかざき真里/小学館
『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』師茂樹/岩波新書

※マンガの引用は以下のルールに従いました。

(注5)引用における注意事項

 他人の著作物を自分の著作物の中に取り込む場合,すなわち引用を行う場合,一般的には,以下の事項に注意しなければなりません。

  • (1)他人の著作物を引用する必然性があること。
  • (2)かぎ括弧をつけるなど,自分の著作物と引用部分とが区別されていること。
  • (3)自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること(自分の著作物が主体)。
  • (4)出所の明示がなされていること。(第48条)

2/09/2023

≪Nオヤジのつぶやき≫「許す」ものの見方

Netflix並みに話題の作品目白押しで、
NationalGeographicにも負けない新発見にあふれ、
NASAも驚く宇宙探査的広大無辺な法華経ワールド。

その教えを学んでいるNオヤジのつぶやきコラムです。
不定期便でゆるっとお届けしてまいります。
NightFeverな写真と共にお楽しみください。
(後半の写真、小さないきもの系が苦手な方はご注意ください。)

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「許す」ものの見方

家族や会社の同僚、友人、すれ違った人等、誰かを許せないと思ったことはありませんか?
自分の思い通り、期待通り動いてくれないとか、自分の価値観だけで判断し、相手の言動を許せず、不平不満を言ったりしていませんか?自分は正しい道を歩んでいるのに・・・と。
本当にそうでしょうか?

山火事に見えた日没(佐藤家のベランダより)


その人もその人なりに、私たちの見えないところで様々に努力し、一生懸命に生きています。
その人も神さま仏さまの心を持った人なのです。
そう感じられないのは自分の心にフィルターがかかっているからなのではないでしょうか。

日没が進むと富士山が浮かんできました


「心を一方におけば九方が欠けるなり」という言葉があります。
自分の思い込みや、心の置き方ひとつで、ある方向からしかその人、その物が見えていないという事は多々あります。
視野を広げてみる事、心の器を広げて見る事は大切な事です。
仏さまは正しい道を歩む第一に「正見」という事を教えて頂いています。
正しく見るとは、真理にあったものの見方です。真理に合った見方とは、仏さまから見たらどんな風にみえるかと思いを馳せてみる事です。

令和5年大國魂神社節分祭「疫病退散」


人は「許されること」「信頼されること」そのことで心が救われます。
許してくれた人から受け取った愛を自分の周囲に広めていく事が大切です。
私たちの内にいらっしゃる神さま仏さまは根気強く私たちを見守り、許し続けてくれています。
同様に身の回りの人や出来事が自分の思い通りに行かなかった時は、まず自分からその人や出来事を許す事を心がけてみませんか。

令和5年大國魂神社節分祭 いざ豆まき 


自分が許せば、必ず相手もその心を感じ取ってくれます。
直ぐには結果は出ないかもしれません。
でもその行為が尊いのです。
「与えたものが与えられる」「投げかけたものが帰ってくる」「信じたものが救われる」すべて宇宙の法則でそうなっているのです。

豆まきゲスト「純烈」リーダーの後ろから
 (心の鬼をはらい、許す見方ができますように)


マザーテレサは全ての相手に関心を持つ事が大切とおっしゃっていました。
許せない相手にも関心を持って見てみると、たまには善いところも見出せるかもしれません。
その人と会話しなくても、一筋の光明を見つける努力をしてみるのも自分の中の仏ごころを動かす訓練になる事と思います。

戒名室に闖入したヤモリも許します!


許す物の見方ができたら、自分も周囲も明るく、優しく、ぬくもりのある穏やかな日々が過ごせるのではないでしょうか。

2/05/2023

<楽曲作り>春先取りレコーディング

昨年の夏に始まった府中教会青年部の楽曲作り。
吉沼青年部長が府中教会の青少年活動に思いを寄せて書いた歌詞に、音楽ユニット心音─kokone─の赤澤さんが曲をつけてくださり、イメージを共有してきました。
Zoomミーティングを重ね、次の段階へ。

過去の記事

年が明け、お正月休みもそろそろ終わるころ、赤澤さんからアレンジの第一稿が届きました。
立春が過ぎた日の夜、いよいよレコーディングの運びに。
レコーディングスタジオは府中教会の研修室。赤澤さんが機材を持ち込んでくださり、歌い手の二人、吉沼青年部長と手塚女子部長がスタンバイ。
二人ともそれぞれの仕事を終えてから、府中教会へ駆け付けました。吉沼部長は自身が店長を務める美容院の2店舗目が昨年11月15日にオープンしたばかり。激務の中、レコーディングに向けて自主練を続けてきました。

夜に駆けるレコーディング

赤澤さんの機材

声の雑音が入らないようにするポップガード


どんな曲が完成するか。
完成形には府中教会青年部のみなさんによるコーラスも加えていければ、うれしいです。

今日は試験的でしたので、再度、コンディションをととのえ、次のレコーディングを経て、赤澤さんによるミックスダウンとマスタリングの工程に入ります。

楽曲のミュージックビデオも作成してYouTube展開していく予定ですので、MV出演、撮影隊などに参加したいという青年部のみなさんを大募集!
(ご希望の方は吉沼部長、手塚女子部長までお知らせください。)

来年、府中教会発足50周年を元気に迎えるために、青年部による楽曲で盛り上げてまいります。
府中教会青年部の活躍、引き続き、応援よろしくお願いします。
(文・写真 佐藤)

緊張をほぐし中

終了したのは22時過ぎ。おつかれさまでした。


Info
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各種配信サービスにて、心音─kokone─の楽曲を聴くことができます。

2/04/2023

母と青い車(座間支部長)



座間支部長のお母様と愛車

この記事は、令和5年2月4日開祖さまご命日にYouTube配信をした、座間透江支部長のお話(原稿アーカイブ)より、抜粋してお届けします。

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◆車と母の人生

 実家の母が80歳になり立正佼成会の主任の役を降りたら、免許を返納するという話になりました。ところが、主任の役を降りても変わらず車で布教する日々。同時に目が…腰が…と言いながら体は少しづつ衰えていきます。大きな事故も起こさずにいましたが、家の駐車場などで車をこすることが増えたことや、高齢者の事故のニュースを聞くたびに、もしも…と家族みんなが心配していました。

 この頃から、兄・兄嫁・妹と私で、母の免許返納について、どのように伝えたらいいかをみんなで話し合うようになりました。

 母は24歳で結婚し、翌年には兄が誕生し、私がおなかにいるときには、稼業の為に免許を取りました。その後、父が病に倒れてからも運転免許があったおかげで、立正佼成会の布教に精進しながら、父の看病と子育てに一生懸命でした。

 その母の人生を讃えながら、兄が母に免許返納の話をしてくれることになりました。しかし、母は、その場では「そうだね」と言いながら、免許返納に向かう兆しがありませんでした。同乗する孫からも「おばあちゃんの運転怖いよ」と私たち家族の耳に入るようになり、正直「困ったな」と思うようになりました。

 母の子供である私たちは、母のためにと思っていろいろとタイミングや言葉に配慮して伝えてきましたが、なかなか母の心に響かないようです。


◆「ちっともよくないよ」

 あっという間に一年が過ぎ、母の車の車検が切れるという昨年の秋になりました。母が煮え切らないので、兄の口調も強くなりケンカにまでなってしまいました。一緒に暮らす兄や兄嫁の立場や気持ちを汲むと、私からも言ってくれという兄のリクエストにも応えたくなりました。普段も母の気持ちを聞くのは、私の役でした。

 しかし、母と話しても、最後は「誰も私のことはわかってくれない」という言葉で終わるので、どうしたものかと思いながらもそれ以上何もできずにいたのです。

 車検は通して、また返納が先に延びるなとみんなが思っていたある日。車検が切れる2週間前に、突然「車を処分してきたよ」とさらりと言って晴れ晴れとしているので、一同びっくりと同時に口々に「それは良かった」と母に言いました。

 しかし、母は「ちっともよくないよ」と言うので、兄は「車を廃車するなら、一言いえば送迎したのに…」という、かみ合わない問答だったそうです。


◆尊厳の学びをとおして

 この一連の流れの中で、ちょうど光祥さまから「尊厳の学び」というテーマで学ぶ機会を得ていて、日々「母の尊厳とは」をずーっと考えていたのに、それらしいことにたどりつかずにいました。せめて母が廃車したときの気持ちを聞こうと電話をしたら、思わぬ言葉が返ってきました。

 「あなたを妊娠中に免許を取り、57年間、本当に免許にも車にも感謝しかなかったから、車屋さんに返す時、車に感謝したくて、花束を買って助手席に置いてきたんだ」と言うのです。そして廃車にした翌日、免許返納の手続きもしたという事でした。

 私はこの話を聞いたときにも、「母らしいな」と思うくらいで「とにかく良かった」と話をまとめていたのです。が、そのときも母は「ちっともよくないよ」と言うのです。
 母の「ちっともよくないよ」という言葉がずっと心に残りながら、その晩の読経供養中に、母が花屋さんに行って車にお礼をしようと花を選ぶ姿が想像でき、涙が出ました。

 そして次の瞬間、苦労の多い人生を送る母の足として大活躍した車や免許証と、どうお別れするかを母は母なりにずっと考えていたのだと思ったら、涙が止まらなくなりました。そして私が拝むべき母の尊厳は「時期が来たら自分でちゃんと免許返納できる母の尊厳」であり、その母を信じてあげることが大切だったと気づいたのです。すぐ、母にそのことをお詫びしようと電話をしました。母は「そんな風に拝んでくれてありがとう」と照れながら「ちっとよかったよ」と言ってくれました。

 このように自分が困ってしまうスイッチの方が入りやすく、失敗ばかりの私ですが、失敗しても自分の気持ちも相手の気持ちも大事にしていくと、理解し合えるということを身をもって学びました。これからも失敗を恐れずに精進してまいりたいと思います。


info
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尊厳(ディグニティ)は簡単に傷つく。
いつも尊厳の学びの途中です。

『ディグニティ』ドナ・ヒックス/幻冬舎
内容(「BOOK」データベースより)
生まれながらの権利であるはずの尊厳―"尊厳"。自らを、そして他者を傷つけ、傷つけあうようにできている私たち、人間。自分を愛し、人と幸福に生きるために必要なものとはなにか。新機軸の「Dignityモデル」で、理想的な人間関係を構築する方法を解説した、著者渾身の一冊。初邦訳で登場。

2/03/2023

府中教会で「福は内」

大寒から15日間にわたる法華三部経の寒中読誦修行を終えました。

今年はひときわ「寒中」が身に沁みる冷え込みようでしたが、皆さまお元気ですか。

節分を節目として、明日には立春を迎えます。


府中教会では、本日脇導師の皆さんと盛大に豆まきを行いました。

みなさまに福をお分けできますように願い、精一杯の大きな声で「福は内」と元気を放ちました。

新しい年も元氣に精進してまいります。

合掌(佐藤)


小袋入りだと撒いた豆を拾いやすく
サンガにお分けしやすいのです


鬼を探す三人(?)

全部屋をまわり、福は内!


玄関の寄せ植えが皆さんをお迎えします

2/02/2023

≪Nオヤジのつぶやき≫レインボーチルドレン

 府中教会のNewcomerか、はたまたNeighborhoodのおじさんか、
2月15日涅槃会にあやかり、Nirvanaを目指すのか。
謎のNオヤジがつぶやくコラムです。

不定期便でゆるっとお届けしてまいります。
府中教会で撮影したNostalgiaな写真と共にお楽しみください。

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2022年早春、府中教会の河津桜


レインボーチルドレン

皆さまは「レインボーチルドレン」という言葉を聞いたことはありませんか?
レインボーチルドレンは生前の記憶をもつ子供たちの事をいいます。
この子供たちの事について医学、心理学、物理学の先生方が関心を寄せています。
人間とは何か、私たちは何処からきて、どこへ行くのか、誰もが知りたい内容について、子供たちが無意識に教えてくれるのだそうです。

2021年11月、府中教会玄関のガラスを磨く子どもたち


この子供たちに話を聞くと、全員が共通して話すことは、生まれる前に神さま仏さまに、「こういう人生を歩みたいです」「こういう試練を乗り越えてきます」という人生計画を立て、神さま仏さまの許可を得られた人だけが、その人生計画を全うする為に必要な両親を自ら選んで生まれてくるのだというのです。そして家族、友達、自分の人生に関わる全ての人も、実は自分で選んでその人にお願いして目の前に現われてもらっているというのです。
つまり、自分の人生は自分の描いた通り、たとえ苦しい人生でもそれを通して自分の魂の向上の為に、そういう選択をしてこの世に出てきたというのです。

2022年、葉桜のころ

俄かには信じがたいと思う方が大半かと思いますが、現実に小学生以下の子供たちが語り始めているのです。
お経の中にも「願生」というのがあり、この世に目的を持って願って生まれてきたというお釈迦様の教えがあります。当にこの教えの正しさを子供たちが証明してくれています。

府中教会に咲く睡蓮


裏を返して申し上げれば、例えどんな人生を歩んでいようとも全く心配ない、自分の魂の向上のために必要あって生じている現象だということです。
経済、病気、人間関係の問題を抱えている方も、全て神さま仏さまと約束してきた通り、シナリオ通りに進みながら、安心して自分の人生を全うしていく事が大切なのかもしれません。

水の玉は無色でも、葉の上では緑に輝く


全て、神さま仏さまはお見通しという事なのだと思います。
今、苦しんでいる人は、そんな理不尽なと思うかもしれません。
親は何があっても子供を見放すことはありません。それ以上に、神さま仏さまは我が子である私たちを静かに温かく見守り、いつでも手を差しのべてくださっています。神さま仏さまを感じられる自分になっていれば、その理不尽さも受け入れる事ができるのではないでしょうか。
なぜなら神さま仏さまは、寛容さが大切と教えてくださり、全てを受け入れてくださっているからです。

府中教会の駐車場に桜色のハート


子は親を教化するといいます。子供たちから学ぶ事はたくさんあります。
ありがたい自分の人生を精一杯生きる。そして自分の魂を少しでも向上させ、神さま仏さまの御許に戻っていく。この世の事は夢のまた夢。儚い人生の時間を無駄には出来ません。あの世に戻った時に胸張って神さま仏さまに自分の人生を報告できる、人生楽しかったと言える自分になりたいとこの子供たちを通して教えて頂きました。

2/01/2023

「他人事」を「自分のこと」に(2月会長法話より)

2月の節分明け、立春より四緑木星の年に入ります。
四緑は、活動・成長・信用・ネットワークの象意(九星がもつ事象の主だった意味)があります。
信用を得て、成長していくためには、誓願を言葉にしていくことが大切。
まわりの人たちに「ありがとう」を伝え、感謝のネットワークを広げていきたいですね。

▼2月会長法話の全文はこちらからどうぞ。

 「他人事」を「自分のこと」に
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今月は、会長先生がご法話で引用された、在原業平一休に注目して参ります。




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「慢心」や「おごり」に気づく
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ついに行く 道とはかねて
聞きしかど 昨日今日とは
思わざりしを
        在原業平

(いつか死の道を通ると聞いていたけれど、自分のこととして、これほど間近に迫ってくるとは思いもしなかったなあ)

平安時代の歌人、在原業平が詠んだ、自分の慢心を悔いて嘆くような辞世の句です。
そこに歌われているのは、これまで連続すると信じて疑わなかった過去・現在の時間と、未来の時間との断絶であると言われます。

老いも病も死ぬことも、それを自分のこととして受けとめるのはだれしもいやなものです。いつまでも、それらが他人事であってほしいと願うのが人情なのかもしれません。

在原業平(ありわらのなりひら)は、小野小町や遍昭などと並ぶ六歌仙の花形です。端正な容姿に恵まれ、皇統の血をつないで自由奔放な行動を示し、華麗なダンディズムを謳歌。二条后や伊勢斎宮との不敵な恋に生きたとされるなど、多情多感な色好みの代名詞として小町と匹敵する伝説を残しています。
『伊勢物語』の昔男のモデルでもあり、無用者を標榜した東下りの話は特に有名でです。(880年に56歳で亡くなっています。)

まだ若いと思って自由奔放に生きてきた者にとっては、身につまされるような思いになる歌です。

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真に健康な人生を
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2月15日は涅槃会です。
師の入滅を前にして号泣する阿難に、「阿難よ、泣くな。生じたものは必ず滅するのだ」と、釈尊は決然と真理を伝えられたといわれます。

生まれては 死ぬるなりけり
おしなべて 釈迦も達磨も
猫も杓子も
          一休

一休宗純(1394─1481)は、足利義満の時代から、応仁の乱を始め、戦国の時代を生きぬいて、単に仏教界のみならず、日本の思想的展開の上においても特殊な足跡を残した禅僧です。
父は北朝系の後小松天皇、母は南朝方の公家花山院某の娘と伝えられています。

川端康成が、ノーベル賞受賞した時の記念講演「美しい日本の私」において、明恵上人から始まって、西行・道元・良寛と話して来た後、一休の二度の自殺をとりあげています。
無心自在の極みの境地に遊び、一見いかにも親しみ易く見える一休が、「実はまことに俊厳深念な禅の僧であった」ことを説いています。さらに、彼が禅の戒律を超越し、当時の宗教の形骸化に反逆し、戦乱で崩壊した世道人心のなかに、「人間の実存、生命の本然の復活、確立を志した」ことに及び、有名な「仏界入り易く、魔界入り難し」の話に至っています。

人生に絶望し、二度の自殺未遂を経ながらも禅の境地を極め、満87歳の生涯を全うした一休の心情は深淵ですが、だからこそ、洒脱な言葉も私たちに響くのかもしれません。


真に健康な人生は、他人事(ひとごと)を自分のこととして、人の悲しみや苦しみを共に味わうところにあります。愛しみや思いやりの心をもつことで、菩薩行につながり、感謝と喜びで日々を送ることができます。

釈尊が「すべてのものごとは移り変わり、あらゆるものごとは縁によって起こる」という真理を説かれ、入滅を前に「自灯明・法灯明」を伝えられたことの意味を、在原業平や一休の歌に学び、深く受けとめて参りたいと思います。
合掌



受験生のがんばりを他人事ではなく自分のことにする青年部
(記念品の「芯の折れないシャープペン」と絵馬風メッセージカード)


Info
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参考文献
『コレクション日本歌人選 在原業平』中野方子/笠間書院
『一休ばなし集成』(財)禅文化研究所

(アイキャッチ写真)
『阿・吽』おかざき真里

真言密教を広めていく空海。
天台法華を苛烈に求めるあまり孤立さえ恐れない最澄。
天才二人の旅路の行く末は・・・。
全14巻、超オススメのマンガです。

(一休宗純ではなくてゴメンなさい。)


<2月 府中教会 開放日>
開放日の10001130に参拝いただけます。
参拝される際は、担当主任までお知らせください。
※感染拡大の状況により、急きょ閉館となる場合もあります。
開放日(参拝可)=白い欄