年明け、今年初の青年部「集会」が開催され、リアルで出会える喜びを分かち合いました。
(府中教会ニュース2月号・2ページ「青年部Info」参照)
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「文化の参照点が『集会』」(※参照点=価値判断基準)
「外へ出て、自分にとって必要なフェスティバルとかかわろう」
あるメディア研究者の言葉です。
インターネットの時代は、あと数年で終わるのではないか…とも言っていました。
(たしかにフェイクと誹謗中傷ばかりのネット情報は信頼できません。)
◆
「フェスティバル」の語源は宗教的な祭典や祝祭日です。
皆さんにとって必要なフェスティバルとはなんでしょうか。
布教とは、信仰を持つ私が人と出会うこと
人と出会うことによってこそ、私たちの信仰は深まる
府中教会は今年50周年を迎え、コロナ禍の工夫としてZoom会議やYouTube配信もできるようになりました。
インターネットで瞬時につながることができる。だけど画面のこちら側で孤独を感じてしまうときがある。そんな今だからこそ、リアルな出会い、集いに心動かされ、サンガとのつがなりを味わい、信仰する価値の再発見ができるのではないでしょうか。
「恥じること」は、善く生きること。
会長先生は「つねに善き友に会って心をはずかしめられよ」という法然上人の言葉を引いて、サンガもまた仏さまであることをご指導くださっています。
身近なサンガとの出会いによって、相手に思いをかけてもらい、あたたかい心にもなります。そうすると、恥ずかしい生き方はできないと自分自身で気づくことができるのだと思います。
青年部「集会」の余韻に希望をふくらませつつ、さらなる出会いの場に期待をもって府中教会ホームページを綴ってまいります。
(このホームページも、インターネット時代の産物ですが…)
今年もどうぞご贔屓に。
下の青い文字をタッチするとPDFファイルが開きます。
▶2月府中教会開放日
青年部Info(青年部月刊ニュースレターVol.28)
※2ページめに続けてあります。
▶1.20青年部集会
(おまけ)
2月号会長法話<「恥じること」は、善く生きること>に登場する法然と親鸞は師弟です。開祖さまのご著書から、お二人の上人について書かれた一節を紹介。
親鸞上人は、自分は業が深くてどうにも救われない身だと思い込んでいたのですが、「阿弥陀如来は、そういう人こそ救おうとされるのだから、お念仏を唱えればいいのだよ」という法然上人の教えを聞いて、「これよりほかに道はない」と信心を決定(けつじょう)されたと伝えられています。
(中略)
「自分の尊敬するお方のおっしゃることだから信じるだけだ。それがすべてで、ほかには何もない。念仏によってほんとうに浄土に生まれることができるのか、それとも地獄に落ちることになるのか、そんなことは知る必要もない」
という純粋な信、それが、なんともいえず美しいと思うのです。素直に信じる
│たとい、法然聖人に
│すかされまいらせて、
│念仏して地獄におちたりとも、
│さらに後悔すべからずそうろう。
│──親鸞上人●歎異抄
引用 『人生の杖』庭野日敬